ece56d41.jpg豪華列車あさぎり

その誕生の経緯が書かれた記事です

以下、記事です


 新宿と箱根を結ぶ小田急電鉄の「ロマンスカー」。そのフラッグシップとして長年活躍した10000形が3月16日に引退した。同時に、JR御殿場線に乗り入れて静岡県の沼津まで走る「あさぎり号」も大きく変化。運行区間が御殿場までと短くなり、約20年間活躍してきた小田急20000形、JR東海371系が運行を終えた。この3つの車両は、いずれもバブル期生まれ。今からすると過剰とも思えるような豪華な設備が特徴だ。これらの車両を通して、革新的な車両が次々と生まれた90年代前半へタイムスリップする。

バブル期の特急“三種の神器”とは

 バブル期の特急用車両に共通するキーワードがある。それは「ハイデッカー」(高床構造)と「ダブルデッカー」(2階建て構造)、そして「コンパートメント」(個室)だ。前回紹介した東海道・山陽新幹線100系車両(1985年デビュー)に代表されるように、民営化を控えた旧国鉄は、サービスの向上を目指して新型車両の開発に着手。目玉となったのが、眺望や居住性が向上するこれらの新たな設備だった。この動きに刺激を受け、小田急を始めとする私鉄も積極的に新型車両の導入に動いた。

 ロマンスカーは63年に登場した3100形、愛称「NSE(New Super Express)」以来、先頭車両にある展望席を最大の売りにしてきた。運転台が2階にあるので、運転士越しではない真の前面展望が望めるのが特徴だ。しかし、展望席は先頭の14席、後ろ向きとなる最後尾を加えても28席の“プラチナチケット”。大多数の人は、その眺望を享受できない。そこで87年に登場した10000形は、この前面展望に加えて「ハイデッカー」を採用し、側面の眺望も良くした。中間車輌の床を高くし、窓も大きくしたことで、すべての座席の魅力を高めたのだ。この10000形には「HiSE(High Super Express)」という愛称が付けられたが、これには「ハイデッカー」「ハイグレード」という意味が込められているという。

 そして、当時のロマンスカーは「走る喫茶室」という異名を持っていた。これは、乗車する際、ドアの脇でコンパニオン(今で言うところのパーサー)が出迎えてくれ、乗車するとシートまで飲み物や軽食の注文を取りに来てくれるサービスが展開されていたため。日東紅茶や森永製菓が運営を手掛け、使い捨てではないグラスやカップで飲み物が提供されていたというエピソードからも、本格的な喫茶店の雰囲気が感じられる。このちょっとしたセレブ気分が、非日常感を高めるポイントの一つだった。

 10000形ではこのサービスを更に高める新技術が導入された。コンパニオンがハンディタイプの端末で注文を入力し、離れた車両にある喫茶コーナーに伝える「オーダーエントリーシステム」が、何と走る列車に備え付けられたのだ。今でこそ、ファミリーレストランなどでなじみの機器だが、当時はまだ手書きの伝票が主流の時代。かなり珍しかったようだ。

小田急とJR東海のタッグで生まれた沼津行き特急

 この10000形に続くかたちで91年にデビューしたのが20000形だ。これは「ハイデッカー」に加え、「ダブルデッカー」で「コンパートメント」を導入した車両が連結された“全部入り”。まさにバブル期の特急車両のお手本のような車両だ。愛称も「RSE(Resort Super Express)」とバブル期らしいネーミングだ。これは神奈川県の松田駅からJR御殿場線に乗り入れ、沼津まで向かうあさぎり号用に開発されたもの。乗り入れ相手であるJR東海も371系という車両を開発し、2往復ずつ分担することになった。ここで、車両そのものの特徴を紹介する前に書き記しておきたいのが、あさぎり号が誕生した背景についてだ。

 あさぎり号は、もともと新宿と御殿場を結ぶ「連絡急行」だった。「特急ロマンスカー」より格下で、57年に登場し、第一線を退いたロマンスカー3000形「SE(Super Express)」を使用。御殿場は箱根の裏側に位置し、表玄関ともいえる箱根湯本へ向かうロマンスカーと比べると地味な印象で、乗客の多くは御殿場周辺に点在するゴルフ場へ向かうゴルファーだった。ところが91年、特急に格上げされ、運行区間も沼津まで延長。当時としては(ある意味現在においても)最高レベルの設備を持つ新型車両が投入された。これには小田急、JR東海双方の思惑があった。

 小田急が狙ったのが、修善寺、堂か島など伊豆半島西側への直行ルートの開設だ。伊豆半島には小田急グループの東海バスが路線網を張り巡らせている。それもあって、小田急は箱根だけでなく、小田原からJRの特急「踊り子号」に乗り換え、伊豆半島東側へ向かう客もターゲットにしていた。乗り換えが伴うデメリットを展望車やシートサービスなどの魅力でカバーし、需要はそれなりにあった。ところが、90年にJR東日本が「スーパービュー踊り子号」の運行を開始。展望席はもちろん、ハイデッカー、ダブルデッカー、コンパートメントを持つ、超豪華車両で客を奪いにかかったのだ。注目はそのダイヤで、小田急のお膝元である新宿、池袋から出発するうえ、小田原を通過する露骨な対抗戦略を採った。そこで重要性が増したのが、同じJRでも、JR東海が運営する御殿場線。西伊豆への玄関口である沼津まで運行区間を伸ばせれば、東海バスの路線網に直結できる。

 一方のJR東海も、JR東日本への対抗で小田急と狙いが一致したようだ。当時はJR東海と東日本は東海道新幹線品川駅の用地取得を巡る意見の対立や、東京駅での両社の切符販売窓口の数をどうするかなどを巡ってギクシャクしていた時期。首都圏に路線網や切符の販売拠点を張り巡らせているJR東日本をいかに頼らずに済むか、というのが大きな課題だった。同じ91年に都庁が移転し“副都心“から“新都心”へと変わった新宿に乗り入れることは、JR東海にとって魅力的だったに違いない。

 このように、両社の大きな期待がかかったあさぎり号。JR東海が用意した371系は、白地に窓の回りが青い帯という車体色から、7両編成中2両連結されたダブルデッカーのグリーン車まで、当時の同社の代表車両、新幹線100系を想起させるデザインを採用した。車内の座席も100系とほぼ同じで、グリーン車は通路を挟んで2列と1列という3列仕様。新幹線にはない液晶テレビまで備え付けた。また普通車の窓は大きく、見晴らしがいい。この仕様は「ワイドビュー」と名付けられ、その後、JR東海が開発した在来線特急列車はすべて「ワイドビュー車両」となっている。

 小田急も、これに合わせるかたちで初めてグリーン車(小田急では「スーパーシート」と呼称)とダブルデッカーを採用。また普通車は10000形と同じハイデッカーとした。JR車両との違いとしては、グリーン車(4号車)の1階部分に半個室「セミコンパートメント」を3室設置。落ち着いた空間として、家族連れやグループ客に売り込んだ。サービス面ではJR、小田急とも従来のロマンスカーのコンセプト「走る喫茶室」を踏襲し、グリーン席でシートサービスを実施。各席に客室乗務員の呼び出しボタンまで設置されるなど至れり尽くせりだった。そんな豪華特急が、主要路線とは言いがたい御殿場線に、一日4往復も走るようになったのだ。

せっかくの豪華設備が宝の持ち腐れになった

 これらバブル世代の豪華車両が一斉に引退するのはなぜか。本来、鉄道車両の寿命は30〜40年程度なので、20年程度で引退するのは異例のことだ。事実、10000形の7年前から運行している7000形「LSE(Luxury Super Express)」は現役続行という矛盾が生じている。その謎を探るべく、実際に乗ってみることにした。

 新宿から乗車したのは、7時15分発のあさぎり1号沼津行き。この列車には小田急の20000形が使われている。新宿発車時点ではそれなりに乗客がいたのだが、最初の停車駅である町田で降りる人が多かったのは意外。西伊豆までの直行特急という位置づけのはずだが、実際は小田急線内の短距離利用が多いようだ。それを裏付けるのが、誰もいない車内販売の準備スペース。シートサービスまで取り入れられたあさぎり号だったが、いまでは車内販売すらなくなってしまっている。手厚いサービスが売りだったはずのグリーン車には数人しか客がおらず、液晶テレビやオーディオサービスは撤去されていた。JR御殿場線へ入り、御殿場に着くと大半の乗客が下車。そのほとんどが、付近のゴルフ場へ向かう中高年男性だった。沼津に降り立った乗客は数えるほど。以前はあさぎり号に接続して堂か島や松崎へ向かう東海バスの特急「スーパーロマンス号」が駅前に待機していたはずだが、とうの昔に廃止されてしまったという。

 運行開始後数年でバブル経済が崩壊し、リゾートブームも終焉。あさぎり号の沼津延長は失敗に終わったようだ。JRは空席の目立つ御殿場−沼津間のみ310円の追加で乗れる自由席特急券を販売するなどテコ入れしたものの、3月17日からは運行区間を新宿−御殿場間に短縮し、本数も平日は1往復少ない3往復に削減(土・日曜、休日は臨時列車を1往復走らせて現状維持)。車両もグリーン車のない小田急60000形「MSE(Multi Super Express)」6両編成に変更され、運行形態は20年前に逆戻りする。新たに任に就く60000形は最新車両だが、東京メトロ千代田線に乗り入れる通勤客向けロマンスカー「メトロホームウェイ号」向けに開発されたもので、特段豪華な車両というわけではない。小田急線内で新たに新百合か丘、相模大野、秦野に停車するようになる(ただし、逆に町田は通過になる)ことからも、利用実態を鑑み、短距離利用に軸足を移そうという狙いは明らかだ。ローカル線である御殿場線にグリーン車を2両も連結した豪華特急はそもそも不釣り合いだったといえる。

 帰りは、沼津からJR東海道線で小田原へ移動し、箱根湯本発新宿行きのはこね36号に乗ってみた。この列車は日によって使用される車両が変わるのだが、この日は引退を間近に控えた10000形が使われていた。

 あさぎり号とは違って乗客が多く、観光地・箱根の底力を実感。車内販売も営業していた。但し、シートサービスはだいぶ昔に取り止められたそうで、一般的なワゴンサービスに切り替えられていた。唯一、往時の片鱗が垣間見られたのがビールだ。缶ビールだけでなく生ビールも販売しており、注文を受けると、以前の喫茶コーナーに備え付けられた樽から注いで持ってきてくれる。内装を見る限りくたびれた雰囲気もなく、引退させるにはもったいない気がした。

 それもそのはず、引退の理由は老朽化ではない。バブル世代ならではの豪華設備が、逆に仇になってしまったのだ。ハイデッカー構造の10000形には出入り口に2段分のステップがある。これでは車椅子の乗客が乗り込めない。一部の床を下げるなどのバリアフリー化も難しく、引退を早めることになった。加えて20000形や371系は、今では豪華な設備を生かせる列車がないことも寿命が短くなった要因といえる。

 好景気に陰りが見え始めた90年代半ばからは、過剰な設備を見直し、スピードアップなどで輸送の効率性を高める車両が主流となった。連載の最終回となる次回は、その代表格であり、この春に引退する車両では最も“大物”とも言える東海道・山陽新幹線300系を紹介する。