またまた、朝日新聞の社説でわけのわからない理論を展開している。
よく読んでいくと、比較対象にはなりえない事例を持ち上げていまの政治情勢を憂いているようだ。
※下部に朝日新聞の社説(2月27日朝刊)がある。
社説では、戦後すぐのハイパーインフレ理由をきちんと説明していないし、日本政府の貸借対照表が終戦直後と今日では全く異なるにも関わらず、そのことには触れていない。
※将来的には、対外資産が減少し、今日とは異なる状況になることは容易に想像できるが
また、一部で起きている軍拡論争を批判しているが、日米同盟の重要性を踏まえた上での主張とはとても思えない内容となっている。
※日本が米国との安全保障への依存度を薄めるのであれば、軍備増強の議論はあってしかるべきなのに、まったくそのことを理解しておらず、話しあうことを前提としており、極めて極左的な主張である。
条約だけで、安全保障が成立すると考えているとすれば大きな間違えだ。
平和条約や不戦協定を結んでも、第2次大戦(日ソ・独ソ)を見てわかるように、条約などは上辺だけで、真の保障条約にはならないことは証明されている。
そして、決定的なミスが結論に該当する箇所で、当初述べていた軍部による脅迫的な予算請求が存在しない現在の政治を無責任だと罵っている。
軍部の代わりに、既得権益をもつ層が予算請求をしていると明確に書くならば軍部の脅迫を引き合いにだすことは成立するが、明言もしておらず、主張したいことが理解できない。
また、見方を変えれば、議会民主制を軽視するかのような主張をしている。
最近の新聞社説は稚拙だと嘆く論客が多いが、朝日新聞の社説はその象徴的なものだと思う。
この社説を執筆した人に色々と聞いてみたい。
以下、朝日新聞の社説です。
75年前の2月26日、東京は30年ぶりの大雪だった。街の中心部は、1400人の軍人に襲撃、占拠された。いわゆる二・二六事件である。
総理官邸や天皇の重臣の屋敷、警視庁、朝日新聞東京本社などが銃剣で武装した将兵らに踏み込まれた。高橋是清蔵相、斎藤実内大臣らが暗殺され、内閣は総辞職に追い込まれた。
事件後、軍部にたてついてまで正論を主張しようとする気風が失われた。やがて人命、資源を費やした戦争に突き進んでいく。
■国力の礎を守る
歴史の分水嶺(ぶんすいれい)だった。今、この事件を見つめたい理由は、そうした軍の暴虐についてではない。理不尽な要求をはねつけようと、自らの体を張った為政者がいた。そこからくみ取るべき教訓があるということだ。
事件の直前、1936(昭和11)年度の政府予算案が編成された。難産の末に産声を上げた。
陸海軍は当初、前年度比14%増に当たる11億7600万円の予算要求を提出していた。民生費などを合わせた歳出総額の約5割を既に軍事費が占める中、更なる増額を求めたのだ。
この時、立ちはだかったのが高橋蔵相である。こんな国会答弁がある。
「いくら軍艦ができても兵備が整っても、国民の経済力で維持し、万一の場合これを動かす力がなければ役に立たぬ。国防の程度は国民の財力に耐える程度のものでなければならない」
昭和初めの金融恐慌、緊縮財政による国内不況、貿易相手の欧米はウォール街の株価大暴落に端を発した世界大恐慌に見舞われた……。世界も日本も、気の抜けない状況だった。
産業界や国民の家計を守り育てていく。それこそが国力の礎である。税などの負担を抑えつつ、民間資金を手厚くするため低金利政策を推し進める。高橋財政の根幹だった。
■国債大増発から削減へ
こだわったのが、膨らんだ国債発行額の削減方針だった。疲弊した農村救済などのため、財政出動を繰り返した高橋だったが、35年度予算では国債の発行額が前年度より減らされており、36年度も同じ方針で臨んだ。
国民の窮状には財政出動をいとわない。だが、規律なき国債増発は金利の上昇や、民間から資金を奪う。時に柔軟に、時に厳しくが高橋流である。
予算編成の閣議は、軍部と高橋のにらみ合いになった。結局、高橋は国債漸減方針を変えず、軍事費は増えたがその伸び率を前年の半分以下の4.4%に抑えて予算編成は終わった。
「82歳翁の頑張り・耐久王高橋さん」「奇跡のダルマ」……。21時間も続いた閣議で、信念を貫いた老為政者を当時の朝日新聞は称賛した。
しかし、軍事大国への道に立ちふさがる高橋は、軍部にとって邪魔者以外の何者でもなかった。
高橋亡き後の予算編成は軍部の思い通りとなる。後継の財政当局者らは「公債は生産的である。特に軍事公債は生産的だ」と述べ、37年度予算は「未曽有の膨大予算」と朝日新聞が批判するほどの積極型。結局、総軍事費は36年度の3倍になった。
増勢はとどまらず、39年度は36年度の6倍、日米開戦時の41年度は同12倍、44年度は同68倍……
軍事費を賄う国債の増発が繰り返され、終戦時の公債残高は国民総生産(GNP)の2倍近くにも膨らんだ。戦争が終わってなお国民を苦しめるハイパーインフレの種がまかれた。
そして――。国土は焦土と化し、国民は一からの出直しを迫られた。
さて、今を生きる私たちは、先人の振る舞いを愚かと笑えるだろうか。
■国民の生活に責任を持つ
身の回りを見渡せば、あのころと似た情景が広がる。自らの負担以上の財政支出を享受し、社会保障や教育、道や橋などの社会資本の整備に費やしてきた。軍事費と民生費とを同列にはできないが、財源の裏打ちなき出費は無責任のそしりを免れない。
国の借金残高は名目国内総生産(GDP)の2倍近い900兆円まで積み上がった。将来のインフレや増税の種をまいたに等しい。さらに深刻なのは、財政の惨状を全身全霊で改めていこうという為政者の長い長い不在である。権力をめぐる争いこそが政治家たちの主戦場との観すら呈している。
与野党の隔てを超えて「国民の暮らしを守る」と言う。では問いたい。これだけ借金を積み上げて守れるのか。とりわけ子や孫の未来を。
守るためにはどうすべきか。国の財力の範囲に歳出を抑え、どうしても必要な歳出があるなら、国民を説得し、それに見合う負担を求めることだ。
世界に例のない速さで高齢化が進む日本で、社会保障は最重要課題である。その財源を優先しつつ、負担を国民に求め、他のムダや我慢すべき政策は徹底してそぎ落とす。
まして財力に見合わぬ軍備に巨費を投じる余裕はない。争いを未然に防ぐ外交に心血を注ぐことが不可欠だ。
そうやって国民のいまと未来を命がけで守る。いまも昔も、責任ある為政者の使命というものだ。
高橋の葬儀の時、「幼児を背に、子どもの手を引く裏店(うらだな)のおかみさん風の人びとが多数を占めていた」という。庶民たちは、だれが自分たちの味方か、よく分かっていた。
よく読んでいくと、比較対象にはなりえない事例を持ち上げていまの政治情勢を憂いているようだ。
※下部に朝日新聞の社説(2月27日朝刊)がある。
社説では、戦後すぐのハイパーインフレ理由をきちんと説明していないし、日本政府の貸借対照表が終戦直後と今日では全く異なるにも関わらず、そのことには触れていない。
※将来的には、対外資産が減少し、今日とは異なる状況になることは容易に想像できるが
また、一部で起きている軍拡論争を批判しているが、日米同盟の重要性を踏まえた上での主張とはとても思えない内容となっている。
※日本が米国との安全保障への依存度を薄めるのであれば、軍備増強の議論はあってしかるべきなのに、まったくそのことを理解しておらず、話しあうことを前提としており、極めて極左的な主張である。
条約だけで、安全保障が成立すると考えているとすれば大きな間違えだ。
平和条約や不戦協定を結んでも、第2次大戦(日ソ・独ソ)を見てわかるように、条約などは上辺だけで、真の保障条約にはならないことは証明されている。
そして、決定的なミスが結論に該当する箇所で、当初述べていた軍部による脅迫的な予算請求が存在しない現在の政治を無責任だと罵っている。
軍部の代わりに、既得権益をもつ層が予算請求をしていると明確に書くならば軍部の脅迫を引き合いにだすことは成立するが、明言もしておらず、主張したいことが理解できない。
また、見方を変えれば、議会民主制を軽視するかのような主張をしている。
最近の新聞社説は稚拙だと嘆く論客が多いが、朝日新聞の社説はその象徴的なものだと思う。
この社説を執筆した人に色々と聞いてみたい。
以下、朝日新聞の社説です。
75年前の2月26日、東京は30年ぶりの大雪だった。街の中心部は、1400人の軍人に襲撃、占拠された。いわゆる二・二六事件である。
総理官邸や天皇の重臣の屋敷、警視庁、朝日新聞東京本社などが銃剣で武装した将兵らに踏み込まれた。高橋是清蔵相、斎藤実内大臣らが暗殺され、内閣は総辞職に追い込まれた。
事件後、軍部にたてついてまで正論を主張しようとする気風が失われた。やがて人命、資源を費やした戦争に突き進んでいく。
■国力の礎を守る
歴史の分水嶺(ぶんすいれい)だった。今、この事件を見つめたい理由は、そうした軍の暴虐についてではない。理不尽な要求をはねつけようと、自らの体を張った為政者がいた。そこからくみ取るべき教訓があるということだ。
事件の直前、1936(昭和11)年度の政府予算案が編成された。難産の末に産声を上げた。
陸海軍は当初、前年度比14%増に当たる11億7600万円の予算要求を提出していた。民生費などを合わせた歳出総額の約5割を既に軍事費が占める中、更なる増額を求めたのだ。
この時、立ちはだかったのが高橋蔵相である。こんな国会答弁がある。
「いくら軍艦ができても兵備が整っても、国民の経済力で維持し、万一の場合これを動かす力がなければ役に立たぬ。国防の程度は国民の財力に耐える程度のものでなければならない」
昭和初めの金融恐慌、緊縮財政による国内不況、貿易相手の欧米はウォール街の株価大暴落に端を発した世界大恐慌に見舞われた……。世界も日本も、気の抜けない状況だった。
産業界や国民の家計を守り育てていく。それこそが国力の礎である。税などの負担を抑えつつ、民間資金を手厚くするため低金利政策を推し進める。高橋財政の根幹だった。
■国債大増発から削減へ
こだわったのが、膨らんだ国債発行額の削減方針だった。疲弊した農村救済などのため、財政出動を繰り返した高橋だったが、35年度予算では国債の発行額が前年度より減らされており、36年度も同じ方針で臨んだ。
国民の窮状には財政出動をいとわない。だが、規律なき国債増発は金利の上昇や、民間から資金を奪う。時に柔軟に、時に厳しくが高橋流である。
予算編成の閣議は、軍部と高橋のにらみ合いになった。結局、高橋は国債漸減方針を変えず、軍事費は増えたがその伸び率を前年の半分以下の4.4%に抑えて予算編成は終わった。
「82歳翁の頑張り・耐久王高橋さん」「奇跡のダルマ」……。21時間も続いた閣議で、信念を貫いた老為政者を当時の朝日新聞は称賛した。
しかし、軍事大国への道に立ちふさがる高橋は、軍部にとって邪魔者以外の何者でもなかった。
高橋亡き後の予算編成は軍部の思い通りとなる。後継の財政当局者らは「公債は生産的である。特に軍事公債は生産的だ」と述べ、37年度予算は「未曽有の膨大予算」と朝日新聞が批判するほどの積極型。結局、総軍事費は36年度の3倍になった。
増勢はとどまらず、39年度は36年度の6倍、日米開戦時の41年度は同12倍、44年度は同68倍……
軍事費を賄う国債の増発が繰り返され、終戦時の公債残高は国民総生産(GNP)の2倍近くにも膨らんだ。戦争が終わってなお国民を苦しめるハイパーインフレの種がまかれた。
そして――。国土は焦土と化し、国民は一からの出直しを迫られた。
さて、今を生きる私たちは、先人の振る舞いを愚かと笑えるだろうか。
■国民の生活に責任を持つ
身の回りを見渡せば、あのころと似た情景が広がる。自らの負担以上の財政支出を享受し、社会保障や教育、道や橋などの社会資本の整備に費やしてきた。軍事費と民生費とを同列にはできないが、財源の裏打ちなき出費は無責任のそしりを免れない。
国の借金残高は名目国内総生産(GDP)の2倍近い900兆円まで積み上がった。将来のインフレや増税の種をまいたに等しい。さらに深刻なのは、財政の惨状を全身全霊で改めていこうという為政者の長い長い不在である。権力をめぐる争いこそが政治家たちの主戦場との観すら呈している。
与野党の隔てを超えて「国民の暮らしを守る」と言う。では問いたい。これだけ借金を積み上げて守れるのか。とりわけ子や孫の未来を。
守るためにはどうすべきか。国の財力の範囲に歳出を抑え、どうしても必要な歳出があるなら、国民を説得し、それに見合う負担を求めることだ。
世界に例のない速さで高齢化が進む日本で、社会保障は最重要課題である。その財源を優先しつつ、負担を国民に求め、他のムダや我慢すべき政策は徹底してそぎ落とす。
まして財力に見合わぬ軍備に巨費を投じる余裕はない。争いを未然に防ぐ外交に心血を注ぐことが不可欠だ。
そうやって国民のいまと未来を命がけで守る。いまも昔も、責任ある為政者の使命というものだ。
高橋の葬儀の時、「幼児を背に、子どもの手を引く裏店(うらだな)のおかみさん風の人びとが多数を占めていた」という。庶民たちは、だれが自分たちの味方か、よく分かっていた。
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