2010年ももうじき終わる。

 今年はいろいろあったが、充実した1年であった。

 来年も飛躍できる1年にしたい。

 2010年で印象に残ったことを月毎に書いてみた。

●1月 人民元切り上げと日本航空

 今年1年間は、ずっと人民元切り上げに注目する形となったが、切り上げ圧力が強まり、いまかいまかと時を待ったが、結局先進国が求めるような切り上げは行われず、小幅な改革にとどまった。

 しかし、人民元にとどまらず、中国経済の国際化が否応なしに行われていくことが避けられないことが決まったことだけでも、私にはプラス材料となった。

 人民元改革によって、将来的に中国の国債も世界中で取引される時代がくることなる。
 
 そして、それによってJGB(日本国債)から中国国債へのシフトが起き、円の重要性がますます低くなり、債権が売られる時がくるのではないかと考えるに至った。

日本航空の倒産も1月だったが、これもついに倒産に至ったかという印象が強い。

稲盛イズムが日本航空でどのように広まって行くのかに注目したい。


●2月 妹の結婚式が沖縄であった。

 式の前日に、チリで地震が起き、この影響で日本全国に津波警報が発令され、かつてないほどの緊張が走った。

 式の当日も、厳戒態勢で合ったが、太平洋側に面した場所ではなかったため式を挙行し、無事終了。

 ※バンクーバー五輪があったのもこの月だったが、興味がなかった。


●3月 妹の披露宴があった。

 妹の会社の同僚や友達を数多くの方々を来賓として招待したが、結婚式をすると新郎新婦の徳がわかる。

また、これまでどういう人生を歩んできたのかを読み取れるのだと思った。


●4月 欧州債券問題が表面化

 当初は、軽いショックで済むと思っていたが、ギリシャ国債がジャンク債扱いとありその後、欧州の信用度の低い国に飛び火し、通貨ユーロの信頼性さえも脅かす事態へと発展した。
 
 ドイツの支援表面などにより、沈静化されたが通貨ユーロが不安定なものであると証明されたことは、ユーロがドルの代わりとなるという幻想を打ち砕いたことを意味したと考えている。


●5月 北京・天津へ

 北京-天津間を結ぶ、中国版新幹線に乗った。

 ICEをベースにした車両は中国版新幹線として世界に輸出されることになるそうだ。

 ドイツの技術なので、乗り心地もよい。

 中国版新幹線として、輸出すれば日本の競合となるだろう。

 韓国のKTXもフランスのTGV技術をもとに輸出する体制が整い、日本はブラジルで受注競争に負けた。

 競争が激化する高速鉄道市場で日本がどのような戦略をとるのかに注目している。


●6月 鳩山首相・小沢幹事長辞任

 6月のなかでは、一番うれしいニュースだったと思う。
 
 物心ついてから記憶している総理大臣の中で一番、生理的に受けつけない人物だった。

 発言、行動などすべて理解できなかった。

 2009年9月の衆院選で民主党に投票した人には責任をとってほしい~と心の中でずっと思っていた。

 私は、自民党支持でしたので、責任はありません!!と言いたい…

 でも、仮に自民党政権が続いた場合どうなっていたかを考えると、責任論を声高に言えるものでもない…

 残念ながら…


●7月 円高ドル安

 徐々に下がってゆく、ドルに対して避難先として買われた円。

 この影響で、日本の製造業株価が再び割安ゾーンへと突入した。

 政府による為替介入期待も高まるが、鳩山政権の後にできた管政権も、9月の党内代表選を意識した政党内政争に明け暮れたため、具体的な行動ができず、ますます下がっていくこととなり、民主党への失望がますます強まった。

 2010年12月末までに、80円割れは避けた形となったが、81円台前半でと


●8月 猛暑

 今年の夏は、昨年よりも暑かった。

 夏は暑いものと思っていたが、ここまで暑いとは…と思い、早く冬がこないものかと思ったが、冬がきたら寒波の影響でものすごい寒さとなり、秋が長いほうがよいなぁ~と思った。

 私はわがままだね…


●9月 尖閣諸島漁船追突

 う~ん、膨張する中国が日本領土まで手を出すようになったのかと思った。

 ※民主党内の政争(小沢対反小沢)も原因であると指摘されている

 中国海軍の工作ではないかとする説もあるが、いずれにせよ中国が意識している第一列島線に日本領である尖閣諸島はじめ沖縄が位置していることを日本人を改めて認識し、日米同盟が重要であると改めて認識した日本人も多いのではないだろうか?

 この事件は、事件全体を撮影したビデオ映像が流出するなど後々まで話題となったが、それだけ反響の大きな事件であった。


●10月 上海万博閉幕とメドベージェフ大統領の択捉島訪問

 史上最大を掲げた上海万博が閉幕した。

 期間中に大きな事件・事故もなかった。

 中国の警察能力が優秀で、いかに強いかを改めて知った。

 尖閣諸島での事件があって以降は、上海万博も含めて交流団が中止になるなどの影響もあった。

 双方の国で反中・反日色が強くなったことも記憶にとどめておきたい。

 尖閣諸島での事件によって、民主党の統治能力に疑問がついたことにより、ロシアも混乱につけこんだとの見方もある。

 民主党はとてもじゃないが、政権を任せられないと改め思った。


●11月 中間選挙でオバマ民主党が惨敗

 米国の中間選挙は、予想通りオバマ民主党が敗れ、米国でもねじれ状態となった。

 これにより、オバマ民主党は現実主義路線へと舵を切ることになり、ブッシュ減税も継続して行われることになった。

 今後も、現実主義路線へ修正されることになるだろう。

 来年は大統領選があるので、行方にも注目したい。


●12月 大阪と株式市場

 大阪へ行った。

 詳細は、12月の上旬のブログに書いたが、非常に楽しく感動した。

 また、大阪に行きたい。

 株式市場は、11月の量的緩和以降、上昇基調となり、日本株は出遅れ感から買われた。

 2月-4月頃に買っていた株が、塩漬け状態となっていたが、値の戻しによって少しは財務状況が改善しつつある。

 来年も、この動きに期待したいが、上海株が年間を通して15%の下落となったことや、25日の利上げ発表の影響を見定める必要がある。

 来年3月頃まで事態を慎重に見守りたい。

 野田財務大臣流にいえば、「注視している」。

 簡単ながら、1年間を振り返ると以上のようにまとまった。

 それでは、良いお年を。