TURACO、旅と日常を綴る

かつては、アフリカなどに旅行していました 最近はだるいので海外旅行いかず国内旅行がメインになりつつあります

2012年07月

61f8779e.jpg 阪急京都線を全線走破するために、河原町までもどりました 
 
 河原町から、茨木までは特急に乗車して、その後目的地の相川駅手前の朱雀とまりに、さらに相川駅までいきましとさ…

 こちらも夜なので…
 
 さて、次は3月17日に行く、和歌山行きだね

 阪和線と関西本線を制覇します!!

4b368e80.jpg 等持院の駅から、帷子辻で乗り換えて嵐山本線を全線走破

 酒を飲んで、しかも夜だったので沿線は記憶にない…

 終点の大宮駅の上は、駅ビルです

 なかなか、立派なビルですね〜

17a79399.jpg 76線目となる、京福電気鉄道北野線

 全線走破するために、わざわざ北野白梅までのります

 本当ならば、等持院でいいのだけどさ…

 で、乗りました

 2両編成で増結していましたね
 
 春には、桜の中を通る場所もあるとか〜

 激混みだろうから、その時は乗らずに沿線から写真だけ撮るかね…

026c6cf5.jpg 100系といえば、バブル期を象徴するような豪華な新幹線

 2階建て有り、個室あり、値段が高い食堂車あり

 グリーン車なんて、4両くらいあったでしょ!?
 
 そんな豪華な100系を開発した時の事情などをレポートした記事を見つけました

 そういえば、300系と同じで引退するのだよね…

 以下、記事です


 ダイヤ改正で引退する車両の目玉(?)は、なんといっても東海道・山陽新幹線の100系、300系だろう。100系は1985年に「ひかり」としてデビューした車両。尖った鼻のようなシャープな先頭形状と、編成の真ん中に2両連結された2階建て車両が話題を集めた。300系は92年に「のぞみ」として運行を開始した車両。最高時速が270キロへと上がり、"東京を朝6時に出発すれば、大阪での朝9時からの会議に間に合う”ビジネスマンの頼もしい相棒となった。

 どちらも東海道新幹線の一時代を築いた車両だが、最近は後継の700系やN700系に押され、主な活躍の場は各駅停車の「こだま」へと移行していた。なかでも100系は、東海道新幹線区間からは2003年に撤退済み。岡山−博多間の運行となり、東京駅はもちろん、新大阪駅にも乗り入れることもなく、東京や大阪に住む人にとっては既に過去の車両になっている。

 記者は1月、最後の活躍の姿を見ようと福岡へと飛んだ。博多駅で久しぶりに100系を見て驚いた。「これが、子供の時に憧れだったひかり号なのか?」。目の前にあるのは、2階建て車両もなく、グリーン車も食堂車もない、わずか6両編成になった100系だったからだ。

 デビュー当時はどんな車両だったのか。ここ福岡には100系の開発に関わったメンバーがいると聞き、JR西日本に所属する新幹線車両の保守点検を行う博多総合車両所へと向かった。彼らの証言を基に、100系がデビューした80年代にタイムスリップしてみる。

実は難しかった「お客様第一」

 100系の試作車両が世に出たのは1985年。JRが発足するのはその2年後で、当時はまだ国鉄だった。その車両設計事務所で100系の開発に携わっていたのが、池田憲一郎氏。現在はJR西日本グループで新幹線車両の保守や改造を手掛けるジェイアール西日本新幹線テクノスの技術顧問を務めている。

 「開発の目標は何と言っても『お客様第一』。乗務員の取り扱いのしやすさやメンテナンスのしやすさは二の次でした」池田氏は感慨深くそう振り返る。

 お客様第一なんて当然のこと、とも思えるが、当時の国鉄はそうではなかった。60年代から70年代にかけ、国鉄の労働組合はストを繰り返していた。「新しい技術を取り入れた車両は、運転や保守の仕方が変わるから面倒」と現場が拒否。結果、60年代に開発された車両が作り続けられていた。日本を代表するはずの東海道新幹線も例外ではなく、64年の開業時に開発された0系以降、実に20年以上も新型車両が出なかった。

 質より量が優先された高度成長期はそれでも良かった。しかし80年代に入り、時代は質やゆとりを求めるようになる。サービスは向上しないのに値上げだけが続く国鉄は人々の支持を失い、民営化を求める声が日増しに高まっていた。そこで、「国鉄は変わるという象徴」(池田氏)として100系が開発されることになったのだ。

 池田氏が苦心したのが座席だ。0系の普通車は2人掛けの座席は回転できるが、3人掛けの座席は向きが固定されていた。3人掛けだと、その半数が進行方向逆向きのまま座ることになる。これを全部回転させよというのである。

 ところが、幅の広い3人掛け座席を回転させると、座席間隔は125cm必要だ。これではグリーン車よりもゆったりとしたスペースになってしまう。定員が大幅に減り、現実的ではない。そこでリクライニングの機構を変更し、背面のテーブルも飛行機と同じ座席下部から棒で支えるタイプに変更。座席の土台の厚みを減らして座席間隔を104cmまで縮めることに成功した。しかし、それでも0系と比べて座席間隔は6cm広い。その結果、1両につき1列分の座席が減ることになった。普通車は13両あるので13両×1列×5人=65人分の座席をどこかに収める必要があった。

 そこで出てくるのが冒頭の「お客様第一。乗務員は二の次」である。

 0系には、乗務員が移動のためなどに使う個室が複数あった。しかし客が座れないのに乗務員が個室を使うのは本末転倒だ。そこで、このスペースを減らすことにした。代わりに設けたのが、運転台の折りたたみ座席。池田氏が飛行機のコックピットに同乗させてもらった際、同種の席を見つけたのがヒントになった。これならばスペースを取らずに済む。その他にも様々な機器を小型化するなどして、どうにか座席定員を0系にそろえることができた。

コスト削減から生まれた2階建てのアイディア

 もう一つ、池田氏が重視したのが「アットホームな車内の雰囲気」である。長時間、ゆったりと乗ってもらうためだ。「列車に乗ると普段の居住空間と違うと感じていた」(池田氏)。当時の車両の車内を見回すと無機質な樹脂製の壁や、金属製のつなぎ目、ネジなどが目立っていた。一方、自宅の部屋は木材や布など柔らかい素材に囲まれていることに気づいた。

 列車の壁が樹脂製なのは汚れを拭き取りやすくするためで、ネジが露出しているのは保守点検の際、簡単に解体できるようにするためだ。これは事業者側の論理に過ぎない。ネジの1つ1つにカバーを付け、100系では窓の下の壁に布地を貼った。布地は騒音を吸収する効果もある。窓も大きくした。破損すると交換が面倒だが、眺望が良くなるほうを優先した。

 一方、話題を集めることになった2階建ての食堂車とグリーン車については、意外なことに「コスト削減」の発想から出てきたものだという。100系ではサービスレベルの大幅な向上を目指す一方、コストの低減も求められていた。当時の国鉄は巨額の累積赤字を抱え、破綻寸前だったからだ。

 そこで、製造にも保守にもコストがかかるモーター付きの車両を減らすことにした。0系では16両すべてがモーター付きだが、100系は12両に削減が決定。モーター無しの4両のうち、2両は運転台のある先頭車両とするとして、残り2両はどうするか。床下にモーターなどの機器を付ける必要がないのなら、2階建てにできるのではないかという話が出てきた。2階部分は眺望がよく、通り抜ける客もいない。線路から遠く、モーターも付いていないので静か。グリーン車や食堂車にうってつけだ。コスト削減とサービスの向上。一石二鳥の解決法として2階建て車両の採用が決まった。

 ここで面白いエピソードがある。食堂を2階に造り、厨房を1階に置くという案を日本食堂(現在の日本レストランエンタプライズ)や帝国ホテルなどの食堂車の業者に披露したところ、現場のコックたちから猛反発を食らったというのだ。「食堂車で収益を上げるには客の回転が重要。そのため、コックは注文を聞く前から準備を始めると言う。どうしてそんな芸当ができるのかと聞いたところ、入ってきた客を見れば、長年の経験で何を注文するのか想像がつくらしい」と池田氏。結局、入口の様子を映し出すテレビモニターを厨房内に置くことで、クリアしたという。

 グリーン車の1階は、試作車の段階では何を作るか決まっておらず、空きスペースだったが、その後グリーン個室が設置された。人目を気にする事なく寛いだり、仕事をしたりできることから、有名人や経営者などに重宝がられた。

2階建て車両が4両になった「グランドひかり」

 このように大幅な居住性向上を実現した100系は、バブル経済へと突き進む社会情勢ともマッチして人気を博した。「国鉄改革の象徴」はそのまま「新生JRの象徴」となり、JR東海のイメージCM「シンデレラエクスプレス」にも登場。CMの舞台となった東京発新大阪行きのひかり最終列車には、0系が使われていたが、慌てて100系に変更したというエピソードも残る。JR東海は、自社の受け持ち区間である東京−新大阪間用に100系を大量発注。乗車時間が3時間程度と短いことから、食堂車をやめ、代わりに1階に総菜を並べた「カフェテリア」を設置した。これは当時勢力を拡大していたコンビニエンスストアにならったものだった。そして、空いた2階は、混雑が激しくなっていたグリーン席に。「グリーン車から座席が埋まる」というバブル期ならではの逸話だ。

 一方、分割民営化で新大阪以西の山陽新幹線を引き継いだJR西日本も、東京乗り入れ用のための100系を造ることにした。これを指揮したのが、現在ジェイアール西日本新幹線テクノスの社長を務める森下逸(※)夫氏。当時は車両部車両課長だった。「JR東海とは異なり、JR西日本としては東京から新大阪を越えて、岡山や広島や博多まで乗ってほしい。そのため、長距離でも快適に乗ってもらえることを目指した」と森下氏。そこで89年に完成させたのが通称「グランドひかり」だ。国鉄〜JR東海の車両と違うのは、何と言っても2階建て車両が4両に増えたことだ。

 1両が食堂車で、残り3両がグリーン車。グリーン車が3両とも2階になったことで、完全に通り抜け客がいなくなり、より落ち着けるようになった。シートには当時としては最先端の小型液晶モニターを内蔵。ビデオサービスで、長時間乗車でも飽きさせないよう努めた。ただし、このサービスはJR西日本の営業する山陽新幹線内に限定された。

 一方、1階部分はグリーン個室を取りやめ、普通席に変更した。といっても、通常の座席ではない。グリーン車と同じ左右2列づつのゆったりとしたシートとした。これは、飛行機との競合が激しい山陽新幹線を意識したもの。既に前年の88年、0系の座席を4列にし、“価格は普通車、座席はグリーン並み”を売りにした「ウェストひかり」が大人気となっていたからだ。山陽区間では、グリーン個室を求めるような客層が少ない、という事情もある。ただし1階は眺めがよくない。それを補うサービスとして、車両の前後に大型モニターを設置して、グリーン車と同様にビデオ放映を行った。グランドひかりは9編成造られたが、うち1編成だけは大型の液晶モニタが取り付けられていた。森下氏によれば「シャープから試験的に使って欲しいとの申し入れがあった」ためだという。「アクオス」が大ヒットする10年以上前の話だ。

 ところで、なぜグランドひかりでは2階建てを4両に増やせたのだろうか。答えは、先頭車両にモーターを付けることにしたから。それも将来を見据えてのことだった。冒頭、現在の100系は6両編成になっていると書いたが、これはグランドひかり開発時の想定通りだったと森下氏は明かす。

 89年に運行を始めたグランドひかりだが、看板列車としての活躍はそう長くはなかった。翌年にはJR東海が最高時速270kmの300系を開発。92年に「のぞみ」として東京−新大阪間で運行を始めた。翌93年にはのぞみの運行区間が東京−博多間に延び、所要時間は5時間4分と、ひかりより1時間弱も短縮。ひかりは看板列車の座から降りることになった。以降、運行の縮小が続き、2000年3月に食堂車の営業が終了し、2002年5月にはグランドひかりとしての定期運行も約13年で終わりを告げたのだった。

 しかし、車両としての寿命は20〜25年程度ある。そこで「こだま」への転用が計画された。ただし、山陽新幹線のこだまは利用客がそう多くはないため16両編成は過剰で、普通車のみの4〜6両編成で事足りることから、中間の車両を抜く短編成化工事が始まった。短編成化した場合、先頭車にモーターが付いていないと、モーター付き車両は4両編成なら2両、6両編成なら4両だけとなり、必要な性能を満たせない。先頭車をモーター付きに変更したのは、実はこれを見据えてのことだったのだ。

“頭”を移植する手術を受けた

 2000年から始まったこの転用工事を担当したのが、JR西日本車両部車両課・課長代理の永野豊氏だ。グランドひかりの先見の明に助けられた部分もあったが、やはり苦労も多かったという。

 「グランドひかりは9本(144両)しかないが、こだま用には6両編成10本、4両編成12本(合計108両)が必要。車両数は足りるが、先頭車両が全然足りなかった」(永野氏)。そこで、JR東海から100系の中古車両を買ってきて、“頭“の部分だけをグランドひかりの中間車両に接合する難工事を行うことになった。つまり、こだまで最後まで活躍した100系のなかには、実は“頭”と“胴体”がバラバラの車両があったわけだ。

 それだけではない。転用工事の後半からは座席を左右2列にして、利用客の少ないこだまの魅力を高めることになった。座席は中古品を再利用。まず、0系ウェストひかりで使っていた座席を、次いでグランドひかりの2階建て1階部分に使っていた座席を使った。これらはグレードが高いとはいえ、もともと普通車の座席なので、特に改造する必要はない。これが尽きると、グランドひかりのグリーン車座席の転用に踏み切った。前述のように、液晶モニターまで組み込まれた新幹線屈指の豪華座席だったが、モニターやフットレストを撤去して、普通車仕様にした。それでも足りず、ここでも最後の頼みの綱はJR東海。中古のグリーン座席をかき集めてきて使ったという。こうやって出来上がったのが、最後の活躍を続ける100系の姿だ。16両編成の時代と比べると違和感を感じるのは無理もない。

 関係者の話を聞いたあと、博多駅を朝7時3分に出る「こだま852号」に乗ってみた。全部の車両が自由席で、隣の小倉駅止まり。休日は運休する、通勤・通学客のための列車だ。以前は同じ車両が6時間近くかけて東京まで走っていたとは信じがたい変貌ぶりだ。

 しかし、グリーン車から転用されたというふかふかの座席に座ってみると、往時の雰囲気が蘇ってきた。池田氏の説明通り、どこを見ても金属っぽさはない。最近の新幹線のカーテンは通勤電車と同じロールアップカーテンだが、100系は昔ながらの横引きカーテン。実用性はさておき、アットホームな感じはする。壁の布地も住居を連想させる。小倉まではわずか19分。もっと乗っていたいという思いを抱きつつ、後ろ髪を引かれる思いでホームヘ降り立った。

 最後に1つ、開発者たちから聞いた豆知識をお伝えしたい。東海道・山陽新幹線と言えば、白い車体に青い帯というイメージが定着しているが、実は0系と100系以降とでは、色が変わっている。初代の0系は白といっても、黄色がかった「アイボリーホワイト」。100系から純白の「ピュアホワイト」になった。なぜか。

 それも、100系が「国鉄改革の象徴」だったからだ。アイボリーホワイトには汚れが目立ちにくいという特徴があった。しかしピュアホワイトは汚れが目立つ。「車両をきちんと清掃する」−−そんな意識を植え付けるためだったというのだ。「クリーム色にエンジ色の特急電車も、オレンジの緑の湘南電車もみな汚れが目立たない色。民営化の頃から白い車体が一気に増えた。当時は世の中も、発足したばかりのJRも活気があった」(森下氏)。

 大量輸送の70年代から、質を重視する80年代へ。そして好景気と分割民営化が重なって、意欲的な車両が次々と生まれた90年代前半。そんな時代の車両が早くも引退しようとしている。次回は小田急電鉄のロマンスカー10000系(HiSE)「はこね」と20000系(RSE)、JR371系「あさぎり」を紹介する。


ずっとブログを書いている

かれこれ、2年連続で書いたことになっているが、そろそろダレてきた

ライブドアブログの場合、アクセス数とアクセスポイントが表示されるのだが、最近は1日100件越えが当たり前になってきた

アクセスポイントも月平均で7,000円越えを今月は達成できた

だが、そろそろ疲れてきたのだ…

ネタを書いてアップするのも意外と疲れるのさ〜

来月からは、少しペースを落とします

気に入った記事だけをアップするかね〜

もちろん、シモネタ記事は忘れずに(笑)

d4c2c396.jpg 餅は餅屋
 
 鉄旅は鉄ヲタに…

 そんな時代がようやく来たようですね…

 ということは、私の時代ですか(笑)

 以下、記事です


東北新幹線「はやぶさ」の登場、九州新幹線の全線開通など、2011年は鉄道界にとって新たな動きが目立った1年だった。それに触発されたのか、旅行会社に務める多くの鉄道ファン(=鉄ちゃん社員)たちが、鉄道が楽しくなるような旅行商品を多数生み出しているのだとか。それらは、もはや商品というよりは“作品”ともいうべきアツい想いが詰まったものとなっている。今年1月には、全国から集まった90作品のなかから、もっとも優れたツアーを選ぶ『鉄旅オブザイヤー』が開催された。

グランプリに選ばれたのは、「怪奇!!トロッコ列車 京都保津川2時間サスペンス」(JTB西日本)。京都嵯峨野の風景を楽しめるトロッコ列車を、あえて真っ暗闇のなかで走らせることで“怪奇”なムードを演出するという企画性の高いツアー。お寺の住職による怪談や舞踏団による妖怪パフォーマンスが催されるほか、通常では夜間営業していない嵯峨駅や亀岡駅を開放するなど、一般人でも鉄ちゃんでも楽しめる内容だ。

準グランプリは、九州を走る7つの人気列車を4日間でたっぷりと味わう「人気列車でめぐる! 九州一周」(近畿日本ツーリスト)が受賞。特筆すべきは、4日間という短い日程のなかで、バス移動を組み込むことにより無理ないスムーズな行程を実現していることだ。個人旅行ではなかなか真似できない、鉄ちゃん社員ならではのこまやかさが評価された。

審査員特別賞には、日本旅行から2つのツアーが選ばれた。1つは「ブライダルトレイン in ひたちなか海浜鉄道」。新郎新婦に最高の思い出を残すために2人の名前入り記念ヘッドマーク(車両の列車・系統番号を示すために車体先頭に取り付ける板)や記念硬券乗車票が用意された。もうひとつの「あけましておめde鈍行列車のお正月」は、年末年始を一人で過ごすお年寄りをターゲットに企画された。鈍行列車のゆったりとした旅のなかで新しい出会いを楽しむ旅が評価されたようだ。

これらのツアーは期間限定で、現在では参加できないプランも多い。しかし、現在もなお人気を集めて催行されているのが、東北応援賞を受賞した「鉄道旅情東北『絆』でつなぐ三陸路2日間」(クラブツーリズム)だ。“旅行業界にできる復興支援”を、東日本大震災から半年後の9月に先陣を切って形にしたツアー。“東北はここまで復興した”という現状を、観光を通して世に伝えたいと考えた企画者の想いが根強い人気の源になっているようだ。

いずれの旅も目的地はもちろん“移動手段”である列車の種類や行程に注目した企画。旅行会社に立ち寄れば、掘り出しツアーがみつかるかも。あなたも“鉄旅”の世界に踏み出してみてはいかがだろうか。

6b18524c.jpg 痛スイカが世の中にはあるとか…

 痛車に続いて、痛スイカね…

 これならば、費用的には痛くないからいいかもね(笑)

 以下、記事です


アニメのイラストが大きく書かれたクルマ「痛車」や、同じく萌え系イラストが描かれたスノーボードの「痛板」など、様々な「痛○○」があるが、最近話題になっているのが、「痛Suica」だ。

「痛Suica」とは、JR東日本の非接触型ICカード「Suica」を始めとするICカードを、アニメイラストでデコレートしたもの。首都圏の私鉄なら「痛Pasmo」、JR西日本なら「痛ICOCA」となるが、それらの総合的な呼称として「痛Suica」が、広く使われている。

2ちゃんねるに関連スレッドが立てられることも多く、たとえば2月20日には2ちゃんねるのニュース速報VIP板に「痛Suica作ったったwwwwww」(原文ママ)というスレッドが立てられている。これは、自作の痛Suicaを披露するとともに、痛Suicaに関する情報を交換するというスレッドだが、複数の2ちゃんねるまとめサイトで取り上げられており、ネット上での注目度の高さがうかがわれる。そんな2ちゃんねらーたちの反応はというと、

「どれくらいのサイズでぴったりになったか教えてくれないか
今俺も作ってるんだ」
「シール買って印刷して貼ったん?誰でもできる?」
「nanaco用のテンプレ作ってくれ」

などと興味津々。痛Suicaを自作したいというネット住民も多かった。

実際に「痛Suica」でネット検索すると、痛Suica作成に使用できる画像集や作り方を解説したサイトが多数ヒットし、どうやらすでにその人気は定着しているともいえそうだ。

ちなみに、もっとも一般的な痛Suicaの作り方は、パソコンで作成した画像をインクジェットプリンタラベル(印刷できるステッカー)に印刷し、それをSuicaに貼るというもの。さらにラミネートフィルムで保護することで、仕上がりが美しくなるという。片面だけのデコレートであればチャージは可能だが、一部の券売機では詰まってしまうこともあるとのことで、注意が必要だ。

明日、すき家に行ってうな丼を食べます

食べたいから食べるのです!!

JR九州がね…

本業以外で利益をあげるのに必死だね…

以下、記事です


 JR九州は今月から、生産から販売まで手がける高品質タマゴ「うちのたまご」を羽田空港の直売店で販売するなど、本格的な東京進出に乗り出した。

 JR九州は昨夏から養鶏事業に参入し、福岡県飯塚市内のグループ会社所有地(約4千平方メートル)に鶏舎を建設。清潔な環境下で栄養価の高いエサを親鶏に与えるなどして、外部からカビや細菌を通しにくい表皮を持つ褐色卵の生産に成功した。

 今年2月、JR博多駅構内に直売所がオープンしたほか、7月12日から直売2号店が羽田空港第1ターミナルで営業を始めた。「たまごかけごはん」が500円、8個入りパックが504円などと値段は高いが、生産・販売するJR九州たまごファームは「親鶏にストレスをかけずに生まれたタマゴは、白身が元気でプリプリです」とアピールする。

 JR九州は、農産品の生産・販売に力を入れており、タマゴはニラ、甘夏、ミニトマトに続く4品目目。8月中に鶏9600羽が1日にタマゴを約9千個生産する体制を整える。今年度の売上高は約9千万円を見込んでいる。

考えてみたら、人生いろいろだ

こうあるべきと思ってずっと頑張ってきたが、自分なんて大したことがない人間だと思った

まわりの人間が何しようがどうでもよいと思う今日この頃

周りのことに関心がなくなったというか、自分のことだけで精一杯というか、自己中というか…

とりあえず、自分が困らないことが一番

まわりの人が困っていても、自己責任という言葉で片付けてしまう…

まぁ、そんなものなのだろうなぁ〜(笑)


1996年にできたのがキャナルシティ

福岡市にあるのだけど、学生時代にも何度か行ったことがある

でも、場所がちょっと不便なのよね…

福岡の市街地は、2つにわかれていて、博多と天神があるけど、キャナルシティはそのどちらに属さない中間地帯なのね…

中洲は、聞こえた繁華街

夜の街でもあり、屋台街でも有名

中洲のすぐそばにあるのがキャナルシティ

特別なネタではないけど、ふとキャナルシティを思い出して書きました…

 帰りも鈍行です

 大阪駅から新快速乗ったら、激混みで、守山駅までたちんぼ状態…

 混みすぎだろ…

 でも、大阪から浜松まで、米原で1度乗り継ぐだけで帰るから、いいよね〜

 車内で、ずっと今回の旅行記を打ってましたとさぁ〜

 おまけ画像をのせます

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なんば駅すぐ近くにあった小学校 昭和4年に開校し、平成15年に閉校になったらしい
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かなり建設費だそうで、コンクリート造りの大阪城よりも高かったとか・・・ 阪神モダニズムを象徴する建物であるよね

 大好き、難波のヤマダ

 ポイントスロットマシーンをやって、お約束の50ポイントゲット

 ヤマダでは、地球の歩き方ポルトガルを買いました
 
 で、その後は店内をふらふら

 のんびりして、退散

 ここのヤマダは、地下の書籍コーナーが充実していていいね!!

 名古屋のLABIなんて、本屋ないぞ…

 いい加減な店舗が多い、ヤマダにしてはかなりまともな場所でしたね!!

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HORAI551の店をながめつつ、ヤマダへ(笑)
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歌舞伎座も取り壊すのだっけか?
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右翼のおっさんが街頭演説してました
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なんばパークスのなかを通り
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KIXの看板をみつついきましとさ(笑)
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いったら、韓流タレントがきていたらしく、イベントやってた

 昼飯は、サブウェイです

 日本では、利用したことなかったから、行ってみたかったのさ

 クーポン使って、ドリンク付き2個で1,000円

 何を頼んで良いらしく、一番高いやつを注文

 サブウェイは、今後日本で増殖するらしい

 いまや、脂肪増量一直線コースのマックを追い抜いて、サブウェイが世界で一番店舗をもったお店だとか…

 なので、サブウェイで食べましたとさ

 満足です〜 
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近鉄難波駅の横にありました
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頼んだサンドイッチ
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北には、だいまるがありました〜

 大丸によりつつ、道頓堀周辺を散策
 
 たこ焼き屋があったりしましたが、とくに買わず(笑)

 友達は、心斎橋のマツキヨで激安チョコを買ってたけど、ダイエット中だろ!!

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大阪の地下鉄の照明は特徴的だよね 北京の地下鉄もこんな感じだったなぁ〜
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心斎橋駅の片隅にあった きっと、開業に貢献した人の記念碑
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これぞ、大阪!! 阪神タクシー(笑)
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大丸デパートの玄関
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心斎橋筋にあったNMBのポスター
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一時期、隆盛を誇ったナカヌキヤ
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知人がかったチョコ
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なんばのドンキ
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一蘭は、すごく混んでいた
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道頓堀
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道頓堀とえいば、これ グリコの看板(笑)
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かに道楽の看板は、今年で50周年
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大きなタコもありました
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くいだろ人形も健在です
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たこ焼き屋がいっぱい
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ちょっと前に、話題になった不法占拠したたこ焼き屋はすでになくなっていたね



 天王寺は、はじめてきました

 JRは、奈良と和歌山方面の玄関口

 近鉄も奈良や吉野方面への玄関口ということもあって、大きな駅

 駅の規模で言えば、横浜くらいかね…

 近鉄が誇る、建設中の高層ビルをながめたりしましたが、とくにすることはなし
 
 阪堺電車の駅もみたかな…

 で、いつもの難波へGO

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JR天王寺駅
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天王寺近くの地図
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阪堺電車
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昭和な香りがする表示版

 聖徳太子が建立したお寺です
 
 由緒正しきお寺さん

 で、お参り

 五重塔などは有料なので、そとからみてお終い

 友達に、あいかわらずドケチやねと言われて爆笑(笑)

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境内の見取り図、わりと広いね
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本堂です
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石壇は重要文化財らしい
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外から見た、五重塔
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有名な仏像彫刻
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四天王寺の外壁 左下部のバーは、ホームレス対策(笑)
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ブルーシートの塊 夜になると戻ってくるのか?
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結構、ブルーシートの塊があったね
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これなに?

年末の予定をどうしようかと悩んでいる

その理由は、もしかしたら年末を誰かと過ごすかもしれないからだ…

妄想のように思われてもしょうがないが、そうならないとも限らないのだ…

微妙なところにいるわけですね〜(爆)


8月末まで予定がぎっしり

まず、来週末は名古屋と横浜

再来週末は、日曜日は静岡へ

そして、そのつぎは実家に帰りそのまま欧州へ

帰国は、21日の予定

25日の週は、会社の夏祭りがある

いくかな?

どうしようかなぁ〜

9月1日は、大学の同窓会のイベントがあります

今回は、主幹なのでいかねば…

9月8日土曜日まで休む暇がない…(笑)

夏バテです…

やる気がない…

体がだるい…

先日、風邪を引いて体力がなくなったようです…

30歳にして、はじめての夏バテ…

もはや、わかくないということですね…(泣)

最近、寝不足のようです…

なぜでしょうか?

理由は不明ですが…

毎晩11時には寝て、朝7時には起きています

エアコンもかけて寝ているのですが、昼過ぎから夕方にかけて無性に眠くなる…

会社のどこかでこっそりと寝るスペースがないので、長時間昼寝もできず…(泣)

なぜだろうか…

一応は、8時間睡眠がとれているのでね〜

今週末は、名古屋と横浜にいきます

というか、そろそろ疲れました…

先週末の直前に風邪を引いて、寝込んでいたけど、その余波らしくいまいち体力が…

だけど、約束があるので…(泣)

考えたら、かなり無謀な予定で行動しているよね…(笑)

そろそろピッチを落とさないと…

 知人宅で朝食を食べて、10時頃に地下鉄で天王寺へ向かいました

 四天王寺に行くためです

 地下鉄は、梅田まで混んでいて、梅田からはガラガラです〜

 谷町線、おそるべし〜

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喜連瓜破駅も沿線上にあります この駅がいいよね(笑)
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カーネーションのポスター、もうじき役御免になるね〜

 知人宅へは歩いて20分ちょい
 
 知人宅に行った後は、トライアルへ

 激安スーパーに行って、ぶらぶら

 そして、知人宅で語ること、うだうだ〜

 午前2時頃に就寝

 おまけ写真です

 天王寺駅界隈のシーンです

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一時期話題になったはりまや 無料カフェは廃止になったらしい 爆笑するような標語もなくなったよね〜
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片っ端から食いまくる知人(笑)

 四条大宮駅のすぐ横に、セブンとりそな銀行が隣同士にあったので、セブンでお金を下ろして、りそなへ入金しようとしたけど、時間外なのでできず…

 夜に入金できないのには、驚いた…

 というか、セブンではできるのに、りそなでできない理由がわからないぞ…

 四条大宮駅から阪急京都線で相川駅まで

 これで、阪急京都線も全線走破です

 全線走破に、載せました(笑)

 これで、77線達成です

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四条大宮駅は、立派なピル 日生の看板がありましたね
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昔懐かしい、改札ですね
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阪急大宮駅です
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全線走破のために、河原町まで戻りました(笑)

 懇親会後の飲み会には、いかずそのまま等持院駅へ
 
 大阪の知人宅へGO

 もちろん、全線走破のために京福電気鉄道をつかいました(笑)

 全線走破記録に、嵐山本線の記録もあります

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 立食でした

 酒は、持参です(笑)

 マイボトルにつめたウィスキー

 一人で、180mmすべて飲んでしまいました

 しかも、短時間の間にね(笑)

 とういか、酒を飲んだ、1ヶ月ぶりじゃないか?

 ゲームやって、景品でボールペンもらったなぁ〜

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餌です(笑) なかなか美味かったよ
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 大学時代の友達にもあった

 3年ぶりの再開

 で、驚いたのが離婚したという話

 離婚って…

 30才☓1で、子持ちかよ…

 おいおい…

 まぁ、ネタにはなるけどね…

 聞けば、旦那のDVとパチンコ通いが原因らしい

 あくまでも、本人の主張ですよ…

 裏口から侵入しました(笑)

 衣笠キャンパスって、大学時代にMOT研究会の関係で何度か来たことがあるね…

 大ホールで、うだうだし

 その後小会議室でもうだうだ〜

 大ホールで、年寄りが大勢喋ったので、小会議室での時間が大幅にカット

 おい!!

 小会議室でのうだうだが目的でこちらはきているのだぞ!!

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喫煙室、2013年3月からキャンパス内は全面禁煙だとか

 北野線を全線走破しました

 全線走破記録は、別にあるので、そちらを参照よろしく

 北野白梅駅もかなり味のある駅ですね
 
 でも、窓ガラスがない場所があったりする…
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味のある改札ですね
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ドーム式です

 帷子辻駅には留置線もあって、夜間停泊も行うようですね

 京福電気鉄道の京都市内の線路って、ゲージが広いね

 1435mmもあるらしい…

 路面電車なのに、広軌っていいね!!
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乗る電車が来ました
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このパンタグラフがいいよね(笑)
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運転台、おもったより近代的

 帷子辻駅に到着

 非常に小さな駅ビルがあって、地下から入場するらしい

 入口は、一方通行です

 小さな駅ながら、旅行客がいっぱい

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入り口です、北口は地下にはいります
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がら〜んとしています、入り口専用です
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窓口は合理化のため、閉鎖
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留置線に止まっていたメンテナンス用車両、かわいいね(笑)

 太秦駅まで山陰線に乗りましたが、車中はわりと混んでいた

 京都駅前までいくのには、これがいいのだろうね

 それにしても、4両編成で20分に1本じゃすくないよね…
 
 複線化も完了したみたいだけど、もう少し輸送量を増やしてほしいね…
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狭いホームだよね・・・ 通過列車にご注意を(笑)
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京都らしい、町家が見えます
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梅小路近くの留置線

 京都駅に到着

 山陰線ホームに、向かうが時間切れ…

 東海道線から山陰線ホームは、遠い

 というわけで、20分後です…

 隣のホームには、特急きのさきが停車
 
 とういわけで、待ち時間の間に写真撮影

 国鉄色の特急電車は貴重だね〜
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京都駅の看板
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廃レールを利用した骨組み
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なぜか、ホームの真ん中に郵便ポストがあるのよね(笑)
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いつかは、乗りたいきのさき
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国鉄カラーっていいよね!!
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乗る電車も到着です!!

 JRと名鉄駅が少し離れている岐阜駅

 さくさくと歩いて、岐阜駅に向かいましたが、切符売り場が混んでいる

 なぜ?

 クレジットカードで切符を購入しようかと思ったのですが、窓口が2つしかなく、しかもひとつは引き継ぎで埋まっている

 もう一つは、お年寄りが切符を購入するのにうだうだと…

 同じ事を何度も聞いて、しかも時刻の印刷まで頼んでいて、ともかく時間がかかる…

 乗る日はまだ先らしいから、JTBにでも行って発券してくれ!!

 と、思いつつ自分の番が来て、切符を買いホームへGO

 時間ギリギリでしたね…

 西枇杷島駅は、わりと有名な鉄道駅です

 4両編成の電車しか止まれない島式ホームがあるのです…

 名古屋方面には、デルタ線はあるし、非常にユニークな場所ですね〜

 写真をのせます

 パノラマカーだから撮れる風景ですね(笑)
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デルタ線です 左が犬山方面への単線
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ホーム狭いでしょ
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あっという間に通過(笑)
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パノラマカー最高!!

 大学の同窓会幹事大会のために、京都までいきました

 当然ながら、鈍行列車ですよ

 浮いた経費で、日頃の同窓会活動費にあてますので…

 というわけで、朝7時19分という少し早めの電車にのってお出かけ

 駅に向かう途中、名刺を忘れたことに気づき、家まで帰るというハプニングが起きたが、無事に予定していた電車に乗れましたとさ(笑)
 
※来週、イベントやるけど、参加者が少ないから、参加者にお土産渡すから、浮いた交通費はその原資にあてよ…

あることから、同窓会の地域代表を引き受けてしまった…

わりとやることはあるので、後悔しているが、暇な私には持って来いかもしれない

暇な私…(爆)

さてさて、30才まであと5ヶ月なくなりましたね〜

あぁ〜なんだかなぁ〜(爆)

 今回の旅は、いろいろな意味で大変でした

 泥棒にあわなかったけど病気になるとはね…

 まぁ、人生いろいろあるだろうけど、初入院がイタリアとはね…

 ヨーロッパは、もう飽きた
 
 建物のも見飽きたし、食事も肉文化で辟易…

 円安ユーロ高で、ものすごく物価もたかいし!!

 やはり、東南アジアがいいね!!

 と、いいつつも、ユーロ安で1ユーロが100円割れしたわので、今年の夏に行くのですがね(笑)

 さて、今年はエミレーツ航空を利用して、イタリアにいくけど、絶対に病気にならないぞ!!

 もっとも長旅じゃないし、食事もきちんととるから、大丈夫だと思ってますけどね(笑)

 保険会社から実家へ電話があったらしく、病院を抜け出したと言われたとか…

 なので、命の保証はできないから、うんぬん〜という趣旨の電話が保険会社にあったらしく、保険会社の人があわてて、実家に電話したらしい

 関空からロンドンに電話して、無事の帰国を報告したが、日本の病院で再度検査するようにと言われたので、実家近くの病院へ

 検査したけど、問題なし

 後から、保険会社の人に言われたけど、入院特約をつけておけば、入院したらすぐに3万円相当の現地通貨がもらえたそうだ…

 もったいないことをしたものさ(笑)

 無事、関空でも入国でき、いよいよ羽田へ

 日航便も定刻通りで、予定通り羽田空港へ到着

 長い旅でしたね(笑)

 ようやく、日本への帰れます

 機内でも、少し気分がわるくダウン…

 ずっと、寝ていましたが、後ろの座席の人が室内灯をつけていたので、クレームを出すと、私は本を読みたいと反論されたので、アイマスクをもらいにキャビンにいったら、消灯していた

 行動すると、すぐにひっこめるならばはなからひっこめろよ…と心の中でぼやく

 いよいよ、帰国です

 隣は、フィリピン人の船員でした

 この飛行機、ミラノを経由するというユニークなフライト

 文字通り、南回りで、所要時間はなんと24時間(笑)

 いまどき、貴重ですよ 

 ローマから東京まで、3回乗り継ぎですからね…

 ドバイのトランジット時間中にも、スタンプ修行

 行きのときと違い、なぜか混雑

 どうも、インドなどから便とかち合ったようで、30分くらいまったかな?

 午後便なので、時間があるから、市内観光をしようかと思って、バチカン市国へいくために、地下鉄に乗車

 前日はストがあったらしく、今日もその影響があるとかで、間引き運転中だったらしい

 バチカン市国の駅についたら、なんと雨

 それもかなりの雨で、駅から出られず…

 で、悔しいながらバチカン市国には行かず…

 そのままテルミニ駅にもどり、駅のマックでご飯を食べました

 朝マックをしたのは、人生で後にも先にもこれ限り…

 このたび、最後の晩餐は、テルミニ駅近くの食堂でした

 ラザニアを食べましたね

 このときも熱で、気分がね…

 今考えると、かなり無理してでの観光だよね…

 真実の口で、また日本人に会う

 今度は、社会人でした

 飲食関係の会社を継ぐとかで、イタリアのグルメを体験しているとか…

 で、そのひと一緒にトレビの泉やスペイン広場などを観光

 スペイン広場の前に、バイロンという名の店があり、爆笑

 先日、このバイロンという名の大学教授が学校にいて、バイセクシャルを学生に行い首になりました…という笑えない話がありますね…

 トレビの泉は、むかしこち亀の両津が、コインをひろおうとしたことがあったね〜
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真実の口、お約束のシーンはしなかったね(笑)
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ムッソリーニが演説した場所
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トレビの泉
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泉の中のコインです
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高価なコインを探す人々(笑)
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スペイン広場
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バイロン、いまはどうしてる?

 急ぎ足で、ローマの市内観光です

 いったのは、コロシアムとその周辺、真実の口、スペイン広場、トレビの泉です

 コロシアムは、絶対に行きたい場所でしたので、いきましたが感動しました

 グラディエーターの舞台になった場所です

 感動していましたが、ここでも微熱に悩まされる…
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コロシアムの外壁
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内部はこんな感じです
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ローマの凱旋門
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廃墟マニアは、大喜び(笑)
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戦車隊が練習した運動場

 微熱の状態で、ローマへ向かいます

 翌日、帰国するので朝から移動です

 ローマに着く頃には、本当に頭が痛くなってつらかったなぁ〜

 またまた、乗ったのがユーロスター

 途中、遅れたりして結局、普通のICでもかわらないじゃないかと後悔…

 ローマでは、駅前の宿にステイ

 1泊50ユーロとぼったくり価格でしたね…
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テルミニ駅に停車していたペンドリーノ号

 退院した日に、ピサの斜塔へ行きました

 入院のお陰で、帰国まであと3日しかなく、できる限りまわりたい

 というわけで、ピサの斜塔へいきました

 ピサの斜塔は、フィレンツェからローカル線で1時間

 駅からバスに乗って、15分くらい

 ピサの駅に着いたあたりから、雨がひどい…
 
 斜塔の前に行く頃には、どしゃぶり…

 だけど、強引にピサの斜塔を見学して、フィレンツェに戻りましたとさ…

 フィレンツェの宿に戻る途中、宿を探している日本人女性2名に遭遇

 彼女達に私が泊まっている宿を紹介してあげたけど、1泊2人で30ユーロだったかな?

 私は、20ユーロだったので妥当かね?

 話をしたら、彼女達はなんと立命館大学出身だとか…

 産業社会学部の学生でしたが、同じ大学の学生にあうとはね…

 これまた、サプライズです
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本当に傾いてる(笑)
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中には入らず、外観だけ〜 入場料高いもん(笑)

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