TURACO、旅と日常を綴る

かつては、アフリカなどに旅行していました 最近はだるいので海外旅行いかず国内旅行がメインになりつつあります

2010年12月

 2010年ももうじき終わる。

 今年はいろいろあったが、充実した1年であった。

 来年も飛躍できる1年にしたい。

 2010年で印象に残ったことを月毎に書いてみた。

●1月 人民元切り上げと日本航空

 今年1年間は、ずっと人民元切り上げに注目する形となったが、切り上げ圧力が強まり、いまかいまかと時を待ったが、結局先進国が求めるような切り上げは行われず、小幅な改革にとどまった。

 しかし、人民元にとどまらず、中国経済の国際化が否応なしに行われていくことが避けられないことが決まったことだけでも、私にはプラス材料となった。

 人民元改革によって、将来的に中国の国債も世界中で取引される時代がくることなる。
 
 そして、それによってJGB(日本国債)から中国国債へのシフトが起き、円の重要性がますます低くなり、債権が売られる時がくるのではないかと考えるに至った。

日本航空の倒産も1月だったが、これもついに倒産に至ったかという印象が強い。

稲盛イズムが日本航空でどのように広まって行くのかに注目したい。


●2月 妹の結婚式が沖縄であった。

 式の前日に、チリで地震が起き、この影響で日本全国に津波警報が発令され、かつてないほどの緊張が走った。

 式の当日も、厳戒態勢で合ったが、太平洋側に面した場所ではなかったため式を挙行し、無事終了。

 ※バンクーバー五輪があったのもこの月だったが、興味がなかった。


●3月 妹の披露宴があった。

 妹の会社の同僚や友達を数多くの方々を来賓として招待したが、結婚式をすると新郎新婦の徳がわかる。

また、これまでどういう人生を歩んできたのかを読み取れるのだと思った。


●4月 欧州債券問題が表面化

 当初は、軽いショックで済むと思っていたが、ギリシャ国債がジャンク債扱いとありその後、欧州の信用度の低い国に飛び火し、通貨ユーロの信頼性さえも脅かす事態へと発展した。
 
 ドイツの支援表面などにより、沈静化されたが通貨ユーロが不安定なものであると証明されたことは、ユーロがドルの代わりとなるという幻想を打ち砕いたことを意味したと考えている。


●5月 北京・天津へ

 北京-天津間を結ぶ、中国版新幹線に乗った。

 ICEをベースにした車両は中国版新幹線として世界に輸出されることになるそうだ。

 ドイツの技術なので、乗り心地もよい。

 中国版新幹線として、輸出すれば日本の競合となるだろう。

 韓国のKTXもフランスのTGV技術をもとに輸出する体制が整い、日本はブラジルで受注競争に負けた。

 競争が激化する高速鉄道市場で日本がどのような戦略をとるのかに注目している。


●6月 鳩山首相・小沢幹事長辞任

 6月のなかでは、一番うれしいニュースだったと思う。
 
 物心ついてから記憶している総理大臣の中で一番、生理的に受けつけない人物だった。

 発言、行動などすべて理解できなかった。

 2009年9月の衆院選で民主党に投票した人には責任をとってほしい~と心の中でずっと思っていた。

 私は、自民党支持でしたので、責任はありません!!と言いたい…

 でも、仮に自民党政権が続いた場合どうなっていたかを考えると、責任論を声高に言えるものでもない…

 残念ながら…


●7月 円高ドル安

 徐々に下がってゆく、ドルに対して避難先として買われた円。

 この影響で、日本の製造業株価が再び割安ゾーンへと突入した。

 政府による為替介入期待も高まるが、鳩山政権の後にできた管政権も、9月の党内代表選を意識した政党内政争に明け暮れたため、具体的な行動ができず、ますます下がっていくこととなり、民主党への失望がますます強まった。

 2010年12月末までに、80円割れは避けた形となったが、81円台前半でと


●8月 猛暑

 今年の夏は、昨年よりも暑かった。

 夏は暑いものと思っていたが、ここまで暑いとは…と思い、早く冬がこないものかと思ったが、冬がきたら寒波の影響でものすごい寒さとなり、秋が長いほうがよいなぁ~と思った。

 私はわがままだね…


●9月 尖閣諸島漁船追突

 う~ん、膨張する中国が日本領土まで手を出すようになったのかと思った。

 ※民主党内の政争(小沢対反小沢)も原因であると指摘されている

 中国海軍の工作ではないかとする説もあるが、いずれにせよ中国が意識している第一列島線に日本領である尖閣諸島はじめ沖縄が位置していることを日本人を改めて認識し、日米同盟が重要であると改めて認識した日本人も多いのではないだろうか?

 この事件は、事件全体を撮影したビデオ映像が流出するなど後々まで話題となったが、それだけ反響の大きな事件であった。


●10月 上海万博閉幕とメドベージェフ大統領の択捉島訪問

 史上最大を掲げた上海万博が閉幕した。

 期間中に大きな事件・事故もなかった。

 中国の警察能力が優秀で、いかに強いかを改めて知った。

 尖閣諸島での事件があって以降は、上海万博も含めて交流団が中止になるなどの影響もあった。

 双方の国で反中・反日色が強くなったことも記憶にとどめておきたい。

 尖閣諸島での事件によって、民主党の統治能力に疑問がついたことにより、ロシアも混乱につけこんだとの見方もある。

 民主党はとてもじゃないが、政権を任せられないと改め思った。


●11月 中間選挙でオバマ民主党が惨敗

 米国の中間選挙は、予想通りオバマ民主党が敗れ、米国でもねじれ状態となった。

 これにより、オバマ民主党は現実主義路線へと舵を切ることになり、ブッシュ減税も継続して行われることになった。

 今後も、現実主義路線へ修正されることになるだろう。

 来年は大統領選があるので、行方にも注目したい。


●12月 大阪と株式市場

 大阪へ行った。

 詳細は、12月の上旬のブログに書いたが、非常に楽しく感動した。

 また、大阪に行きたい。

 株式市場は、11月の量的緩和以降、上昇基調となり、日本株は出遅れ感から買われた。

 2月-4月頃に買っていた株が、塩漬け状態となっていたが、値の戻しによって少しは財務状況が改善しつつある。

 来年も、この動きに期待したいが、上海株が年間を通して15%の下落となったことや、25日の利上げ発表の影響を見定める必要がある。

 来年3月頃まで事態を慎重に見守りたい。

 野田財務大臣流にいえば、「注視している」。

 簡単ながら、1年間を振り返ると以上のようにまとまった。

 それでは、良いお年を。



 Webで以下の記事を読み、自己責任の重さを強く認識した。

 やはり、社会で生き残るためには、知識と決断力、実行力が要求される。
 
 失敗した場合は、自己の責任能力で処理せねばならないものであると改めて思った。

 この記事を戒めとして、責任ある行動をとり、飛躍ある一年にしたい。

  
 以下、記事の一部を転記。

●浜松の失業

師走の朝に訪ねた浜松市内のハローワークは、54台ある求人検索機がすでに満席だった。やっと空いた端末で、ある男性の条件を入力する。

 61歳、フルタイム、派遣、木材加工、勤務は浜松周辺――。結果は「該当する求人件数 0件」。勤務地を静岡県全体に広げて、どうにか「2件」になった。

 その2社に電話してみた。

 「資格や免許はない? いろんな工場を転々? そういう人が一番困るんだよ」

 「老眼になると労災が怖い。体力も落ちる。正直言うと60歳超えると無理ですね」

 ため息が出た。彼も、同じだったろう。

 工藤均さんが自ら命を絶ったのは、汗ばむ陽気の残る10月中旬の昼すぎだった。

 「もう疲れた。仕事もないし、金もない」。か細い筆跡で遺書を記し、ひとりで22年間暮らした木造アパートのベランダにロープを掛けた。東名道のインターに近く、工場や住宅が混在する地域。裏のアパートに住むベトナム人工員が第1発見者だった。

 「安すぎる。生活保護と変わらない」。派遣会社を去ったのは5月半ば、誕生日の翌日。60歳を超すことを理由に1200円から850円への時給引き下げを通告されていた。年金保険料を納めず、何とか確保してきた手取り月17万円が、約3分の2になる。

 自らハンドルを握って、派遣先に社員を送り届けるという社長は作業着姿で取材に応じた。「賃下げは、派遣先の建材工場の要求だった」「280円の牛丼もある。食っていける額だ」と言い、工藤さんをこう評した。「強気でプライドが高い。辞めても、若い時のように次があると勘違いしていたんだ」

 確かに、次はなかった。(西本秀)

■働きたい、人とつながりたい

 6月、アパート前に白いセダンが止まったままなのを心配して、上階の男性が工藤均さんの部屋を訪ねた。

 「仕事が見つからない。自分も安い部屋に移りたい」

 ふさぎこんだ工藤さんは、男性が市営住宅の抽選に当たったと聞き、しきりにうらやましがったという。

 7月、貧困相談に乗る市民グループと面会し、生活保護受給を勧められる。だが、車の処分が必要と聞くと申請を拒んだ。グループの落合勝二事務局長は、「年金も預金も家族もない。彼には車が唯一の財産だった」とみる。

 最後の失業手当、約10万円を受け取った9月。落合さんの目には、身長160センチほどの工藤さんがもっと小柄に見えた。生活保護に代わり住宅手当を提案したが、「頼れる人も頼られる人もいない身。どうなったっていい」と投げやりに断った。

 仕事が見つからず、生きるプライドも奪われていく。

 10月に入り、失業手当もほぼ使い切ったのだろう。近所の主婦(63)は、泣きはらした顔でアパートに帰る工藤さんに気付いた。野菜を譲ったこともあったが、その日は声をかけそびれた。「あの時、話しかけていれば……」

 リーマン・ショックが直撃した製造業の街、浜松では、2009年の自殺者が前年から2割増えて165人になった。中高年を中心に、男性が8割近い。

 クリスマスの夜。「温まってください」。浜松駅前で失業者らにスープを配った日系ブラジル人団体「エスペランサ(希望)」の河内オスバルドさん(58)は、失業者が自殺に追い込まれる日本が不思議でならない。ブラジルの10万人あたりの自殺率は日本の5分の1以下。「私たちは食べものと一緒に、声をかけて言葉を配る。助ける、助けられる、に遠慮はいらない」

 青森に生まれ、両親のいない工藤さんに、遺体の引き取り手は現れなかった。市役所が火葬し、遺骨を預かった。

 手放すのを拒み続けた車は所有権が宙に浮き、いまもアパートの駐車場に放置されている。最後まで仕事を探していたのか、助手席には運転用の黒いサングラスと一緒に、求人情報誌が置かれていた。

     ◇

 働きたいのに、働けない。働き盛りであるはずの30~50代の男性が、もがいている。

 元編集者、55歳。待ち合わせの駅に、着慣れたスーツ姿で現れた。15年ほど勤めた業界紙が昨年10月に倒産。勤めていた時と同じリズムを保ち、家を出るという。

 100社に書類を送り、面接まで行けたのが3社。若い頃は、引く手あまただった。時代は急激に変わった。

 生きていけないんじゃないか、という不安だけではない。働くことで社会の一員になっているんだ、と思う。とにかく、働きたい。

 元出版社員、40歳。大手企業を辞めた「即戦力」だが、勤めた会社が次々に倒産したり、部署がなくなったり、と不運続きだ。給料は安くてもいいから、長く勤められる会社。求めているのはそれだけなのに、決まらない。

 求人は昔と比べると両極端だ。とても高いスキルが必要か、逆に単純作業で誰でもいいか。「ちょっと何かができる」という中間層は、どこに行けばいいのか。お金じゃなく、人から信頼されて働けることが楽しいのに。

 大学院卒、31歳。塾講師のアルバイト以外は経験なし。弁護士を志し、旧司法試験に6回挑戦した。30代半ばで就職活動するよりは、と法科大学院への思いを振り切った。

 もうすぐ年賀状の季節。同級生から、近況が届くだろう。家を買った。子どもができた。そんな一方で、勤めた会社が倒産し、再就職先もつぶれた友人がいる。まるで、人生はくじ引きのよう……。

 仕事を失うことで、収入以外に失うものが確実にある。彼らは今日も面接会場へと向かう。

     ◇

 その部屋が自分の唯一の居場所であるかのように、22歳の男性は座っていた。

 アパートの一室。壁には美少女アニメのポスターやカレンダー、雑誌や漫画本が積み上がる。自分が好きなもの、自分を拒否しないもので、周囲にバリケードを築こうとしているかのようだ。

 昨年、うつ病の診断を受けた。離婚した親の援助も受けられず、21歳の若さで生活保護を申請した。

 最後に働いたのは、巨大な冷蔵庫の中だった。くるぶしまで届く分厚いコートを羽織り、手には軍手。冷凍された弁当の食材を指定された数だけ振り分ける。次第に足先がしびれ、感覚がなくなる。時給は1千円。

 翌朝のボードに、食材の数のミスが張り出される。また自分だ。「一緒だと仕事にならない」と同僚。「簡単なことなのに」と上司。遠回しに解雇を宣告された。

 高校を卒業し、郷里の岩手県から上京してアニメ・ゲーム制作の専門学校に進学したが、希望の職にはつけず、非正規労働を繰り返した。宅配便の荷物の仕分け、日雇い派遣、風俗情報誌……。だが、なぜか、何をやっても人より遅い。いつも追われるように職場を去る。生きる資格がない、と社会から宣告されたような気がする。

 思えば小学生の頃から、同級生に近づいただけで「バイ菌」と逃げられた。過去をさかのぼっても、いい思い出は見当たらない。唯一の例外は高校生のとき、県で俳句大会の1位になったこと。22年の人生で、あのころが最も輝いていたと思う。

 今でも、俳句雑誌に投稿を続けている。〈どこまでも向かうあてなき冬野かな〉

 今、定期的にしているのは、ブログに思いを書き込むことだけ。人とつながりたい、と画面が叫ぶ。

 「一生、結婚なんて考えられない。生活保護がなければ路上生活か自殺しか……」

 この年末はしばらく部屋から出られず、1日1食、白米やインスタントラーメンだけで過ごした。100円ショップで買った壁時計は、12時55分を指したまま動かない。「途中で止まって。まるで僕の人生のようですね」(西本秀、仲村和代、真鍋弘樹)

■最後の命綱失うと転落は深い

 人はなぜ働くのだろう。生活のため。食べるため。それだけか。「社会の役に立ちたい」。出会った失業者の多くが生きがいを求めていた。

 自殺した浜松の男性も、ただ食べるためなら生活保護で済む。でも受給を拒否した。自殺は「孤立の病」と呼ばれる。失業をきっかけに、社会につながっているという感覚が消え、生きる意欲を奪われてしまったのか。むしろ社会の側が、彼を拒否したのだと、取材して思った。

 取りかえ可能な非正規雇用が広がり、「必要とされている」という手応えが得難くなっている。就職難で社会の入り口で門前払いされた若者は、結婚から遠ざかり、「孤族化」に拍車をかける。家族や地域のきずなが細れば、仕事が最後の「命綱」となり、切れた時、転落は深い。

 浜松のハローワークで出会った59歳の男性は半年間、失業状態が続いていた。「選択肢がない」とこぼして、「首相の言った、一に雇用、二に雇用、三に雇用の約束はどうなった」と語った。(西本秀)
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●中年男性の餓死

たたきの先の障子を開けた警察官が声をあげた。

 「あっ」

 まさか――。60代の家主の女性は怖くて家のなかをのぞく気になれない。

 「やせている人ですか?」

 警官から聞かれてけげんに思った。独居の借り主はがっちりした男性のはずだ。高校時代はラグビー部員だった。

 月2万5千円の家賃が滞り始めて4カ月。消費者金融の取り立てもきていた。行方をくらましたと思っていた。

 まだ39歳。死んでいるなんて思いもしなかった。

 冷蔵庫は空。棚にしょうゆと油の瓶があるだけだった。医師の死体検案書に〈摂食の形跡無し〉と記載された。

 その借家は、トタン張りの平屋建て。さびて赤茶けていた。師走の風に、玄関のサッシがカタカタと鳴る。

 裏の借家の初老の女性は、男性と話したこともないという。真っ暗だった家で人知れず死んでいたと知ったときはふるえがとまらなかった。

 「なるときはあんなになるのかと思って。餓死では死にきらん。餓死では」

 この死が報じられた当時、家の前に来て涙を流す女性を見た。「『いい人だった』と聞いて、そんな人やったんやなって」と同情を寄せた。

 昨年4月、北九州市門司区で起きた餓死事件。男性は、いま37歳の私と2歳しか違わない。健康面に問題を抱えていたわけではないという。前年11月まで働いてもいた。

 そんな男性が、飢えて、死んだ。心象風景を探る取材を始めた。

■「たすけて」言い出せぬまま

 餓死した39歳の男性が育った家は、借家から数百メートルの場所で床屋を営んでいた。

 祖父母と両親、兄との6人暮らし。親族によると、父親は借金が原因で行方不明になった。祖父母が死に、兄は大学進学を機に家を出た。男性も県外で働いた時期があったが、実家に戻った。未婚で、母親が5年前に亡くなってからは一人暮らしだった。

 仕事は不安定だった。専門学校を出て富山県の会社に就職。だが1年ほどで退社して福岡県内の会社に入り、2001年からは居酒屋などの飲食店を転々とした。少なくとも6店に勤めたが、いずれもアルバイトだった。

    ◇

 最後に勤めた居酒屋チェーン店を今年10月に訪ねた。人の入れ替わりが激しく、当時のスタッフはいなかった。当時の店長(32)は熊本市の系列店にいた。男性は10~20代のアルバイトに交じって、調理場の仕事を黙々とこなしていたという。辞めた理由は借金。取り立てが来ると迷惑をかける、と自ら切り出した。

 同じ時期に半年間、掛け持ちで働いた食堂では、「自分の店を持ちたい」と周囲に希望を語ることもあった。

 無職で迎えた昨年の元日。男性を招いた家があった。保育園から一緒だった元同級生宅。その同級生の帰省に合わせて呼び、みんなで刺し身や煮物をつついた。

 元同級生の母親(61)は振り返る。「ちょっとやせたなって思ったんよ。でも『恋でもしよる?』ってたわいのない話をして、いつもと変わらんようだった」

 仕事の近況を尋ねたときは、働いてます、と答えていた。

 昨年3月20日ごろ、男性から電話があった。

 「おばちゃん、風邪ひいて何も食べてないんよ」

 「ならお弁当でも作ってあげる」。もち米を使っておこわを作り、卵焼きを詰めて車で来た男性に渡した。

 「あれが最後の食事やったんか……。助けて、と一言いってくれれば何かできたかもしれんのに。それが腹立たしくて」。涙声になった。

 元同級生と男性は同じ専門学校に通い、同じ飲食店でアルバイトをした。陽気な元同級生は接客。物静かな男性は調理室。元同級生は、気に入られた客の誘いで東京の会社に就職した。以来、正社員として働き、妻子もできた。「何かにつけて得な人とそうでない人と、あるんかね」。しみじみと母親は言った。

 この土地には、隣近所で助け合う心が残っていた。気さくなこの母親に接し、なぜ、との思いが強まった。

    ◇

 〈たすけて〉

 平仮名で書いた紙の切れ端が入った封筒が男性の部屋に残されていた。

 宛先に書かれていたのは母方の叔父(66)。駅に近いマンションで暮らしている。

 「逃げたと思ってた。餓死とは意外やった。できるか? 40前の男が食えないまま閉じこもって死ぬなんて」

 叔父の言葉は辛辣(しんらつ)だった。

 「誰も悪くない。本人の責任」

 男性の家族が借金問題を起こすたびに親族が尻ぬぐいをしてきたという。男性の収入は少なく、同居する母親の月8万円の年金と叔父らの資金援助が頼りだった。「完全なパラサイト」と断じた。

 「もう、情けないよ……」

 叔父は高卒で地元のセメント会社に就職。「粉まみれになってがんばった」と言う。「金を稼げるならなんちゅうことはなかった」。いまなら3Kと言われる職場だ。先輩後輩、社内の人間関係でつながっていた。簡単に辞めていく人間はいなかった。そうして定年まで勤めあげた。

 叔父にとって、おいっ子は歯がゆい存在だったろう。

 男一人なら生きていける、と母親が病死したあとは援助をやめた。

 男性が飲食店を掛け持ちで働き始めたのはこの後だ。

 食堂の時給680円、居酒屋800円。午前8時から日付が変わるまで働いて、月収は20万円に届くかどうか。

 二つの店と自宅とはほぼ一本道でつながっている。車検が切れた軽自動車で単調な道のりを往復する日々、何を考えていただろう。

 昨年1月、門司区役所に生活保護の相談に行っている。相談記録票には、飲食関係の正社員に限定して求職中と聞き取った内容の記載に続き、「相談結果の処理」の欄にこう書いてあった。

 〈39歳、健康体であれば何か仕事はあるはずである〉

 「幅広く探してみる」と男性は保護を申請せず帰った。

 男性を追い込む直接のきっかけとなった借金の理由は取材ではわからなかった。督促状は丁寧にクリップで束ねられ、6社から計150万円に上った。家に5台も残されていた携帯電話も謎だった。

 頼ったのは結局、親族。昨年2月に大阪にいる4歳上の兄に連絡して金銭的な支援を頼んでいる。叔父は兄からの電話で経緯を聞き、借金問題にはかかわらないように忠告したという。

 その兄に電話で取材を申し込むと、仕事で多忙だから、と断られた。もう一度かけても答えは変わらず、心境を聞くことはかなわなかった。

 未投函(とうかん)の叔父あての手紙。封筒の表書きがぴしっときれいな字で書かれているのに、〈たすけて〉の文字は弱々しかったという。

 出すか、出すまいか。

 命が尽きる寸前まで迷ったのではないか。

 弱い自分をさらけ出し、助けにすがってまで生きる。生き延びたとして、その先に希望があるのか――。電気が切れ、真っ暗な借家で煩悶(はんもん)するやせ細った39歳を想像した。

 叔父の言葉が、私の頭にこびりついている。

 「すがるところが無くなった。だから、死んだ」

 財布に残されていた現金は9円。叔父は、これもメッセージだと受け取った。

 「食えん(9えん)」

 菩提(ぼだい)寺のさい銭箱に投げ入れたという。

 私もやってみた。1円玉4枚と5円玉1枚。軽い硬貨が乾いた音をたてて落ちた。


■救いの手にすがる難しさ


 餓死した39歳の足跡をたどって見えてきたものは、孤立した働き盛りを支える「希望」の無さだった。

 正社員を辞めた時期にバブルが崩壊。職を転々とした男性の生活は、母親の年金や親類の援助で成り立っていた。「自分の店を持ちたい」と周囲に語っていたが、実際には蓄えと呼べるものは無かったようだ。若いころ交際相手がいたが未婚のままで母親と2人で暮らし、その母親を亡くすと、孤立無援になった。

 男性が最後に職を失ったのは、リーマン・ショックのあと。同じ時期に自動車工場を解雇された元同級生(41)は「ひとごとではない」とおびえていた。自分も親がいなかったら生活できなくなっていた、と。

 男性には、支え、支えられる存在としての家族がいなかった。だがほかに助けを求める先は無かったか。

 心配してたびたび様子を見にきていた家主、弁当を持たせた元同級生の母、生活保護の窓口……。すがってもいい、どこかで一言を絞り出してほしかった。(井上恵一朗)

060c9f30.jpg以前、ブログでウィスキーについて書きました。

私の手元にあるウィスキーをすべて並べた写真がありましたので、それをUPします。

なお、写真は8カ月ほど前のものですので、これよりも種類は増えています。

飲みきったものは、また買いなおして、ストックしてあります。

 人の性格形成プロセスというものを考えたとき、周囲にいた人間の影響と自分のとった行動が極めて大きいと思う。

 周囲の人間によって、その人の考え方や行動パターンが決まり、それが性格という名称でまとめられるが、私がいままで会ってきた人達の大半は、両親またはそれに代わる存在の影響が極めて大きいと思う。

 例えば、非常に短気な男性の場合、非常に父親が短気な場合があり、父親を見ているので、自身も短気になりやすいと思う。

 しかし、自分が短気であると気づいておらず、周りのせいにする人も多くおり、自分損をして、周りにも損をさせるという構図を持っている。

 短気は損気と言ったが、外れおらず、私自身も短絡的な発想で行動し、損をしないように気をつけたい。(少なくとも、自身では短気ではないと思っている。)

 女性の短気は、手に負えない。女性の場合は、短気というよりもヒステリーと呼ばれることがあり、こちらの方が男性よりも損失は大きいと思うが、ここだけの話にしておく。

 この他にも、周りの空気が読めない人(天然ボケも含む)も親譲りという場合が多いと思う。

 天然ボケの場合は、親や兄弟と正反対で天然ボケという正確になることもあるので、一概には決め付けられない。

 あれこれとあげれば、キリがないが、人の性格は親や周囲の人間によって決定づけられる可能性が極めて高いと思う理由は、上記のとおりだ。

 つぎに、自分のとってきた行動で性格が決まるというのは、周囲の環境に影響されるが、大局的見地をもつ人間などは、これまで様々な本を読み、外に出て見聞を深め、世間という存在を熟知していると考えている。
 
 大局的見地をもつには、アクティブに行動し、かつ熟考できる人間でなければいけないのではないのか?と思っているが、これら一連の行動が自身のとってきた行動であるのであると考えているので、となると大局的見地=性格の一部だとすると、これまでとってきた自身の行動も重要な要素になる。

 その逆に、視野が狭い人物は、行動範囲もせまく、世間を身勝手に解釈したことなどもあり、それなりの性格なのだと思う。

 人の性格が決定づけられる要素は、あげればキリがないが、私が考えている要素は、上記の2つだと思っている。

 今日は表題が示すとおり、結婚はすべきか?について考えてみます。

 まず、結婚はせねばならないものか?否か?という問にあたりました。

 私の結論は、個々の人生設計に応じて必要ならば、すればよいし、しなくてもよい。と思います。

 私の考える結婚とは、「新しい組織を形成すること」だと思うからです。

 大抵の方は、結婚すれば夫婦ふたりで暮らします。(親元での同居を除く)
 
 ここで、新しい組織が誕生するわけです。

 関白亭主であれば、組織の長は夫です。

 尻に敷かれれば、長は奥様となります。

 そして、子どもが生まれれば、組織の構成員が増えます。
 
 個々の事情によりますが、結婚した場合、強制的に扶養する義務が発生する家族が増える可能性(専業主婦や出産)が高く、子供に関しては22歳(大卒)まで扶養する必要が生じる可能性が極めて高くなります。

 構成員が増えることによって、金銭的な自由を奪う事と同時に、組織の効率性が悪くなり、スピーディーな意思判断ができなくなる可能性が高く、確実な負担となります。

 逆に、構成員が増えれば、増えた分だけお金には換えることのできない喜びや悲しみなどを味わうことができます。

 この喜びと悲しみこそが、人を成長させ、人生最大の醍醐味かもしれません。

 文章で表現することは非常に難しいですが、「結婚=新たな組織作り」は人として必要なプロセスであるとも考えられます。

 ただ、構成員を1から育てるのには、時間とものすごいお金がかかるわけですから、安易な気持ちで構成員を増やすことは避けたほうが、互いのためにもよいと考えます。

 私自身、これまでものすごいお金をかけてもらっていますので、これからは恩返しをする番だと思っています。

 組織の効率性や自由度の確保という観点から見れば、結婚はしないほうがよいです。なので、確固たる財源を獲得してから結婚したほうがよいというわけです。

 具体的な財源獲得手段ですが、ひとつは独身時代で資金余力がある時期に、財テク活動などを行い、将来的に予想される負担を減らすために、蓄財を行うことが考えられます。

 独身のいまならば、自分だけで決定できますし、自分だけで責任もとれます。

 組織になると、責任の所在や意思決定などの関係で独身時代とは比べものにならないでしょう。

 ですから、独身の強みであるスピードを活かし、将来に備えるという手法もあると思います。

 私は、もう少し財源を確保してから結婚します。

 欲を言えば、確固たる財源からもたらせる富の複利が自分の給与と同額程度になる目処がつけばと考えています。

 まぁ、ものすごい金額ですから、それは無理としてもせめて住宅購入の際にローンを組まずに買える程度の資金は持ちたいですねぇ。


 年明けにも調整入りするのでは思っていたが、中国の利上げも無事、吸収し再び上昇基調を強めようとしている。

 騰落レシオやストキャスティクスなども高どりではあるものの、一時的な過熱感が冷めており、上昇することも可能な状態になりつつある。

 納会・大発会に向けての短期的な上昇と見ることもできる。

 懸念事項も、金利の上昇やコモディティ価格の上昇などである。

 11月の利下げの結果、リスク資産への資金移動が起こったため、米国債が売りに転じた。

 その結果、金利が上昇し、一部の資金がコモディティ市場に流入した。

 日本株も世界経済の楽観論から巻き戻しつつあり、修正相場入りした流れがしばらくは続く可能性が高い。

 1月中旬以降に相場の流れがどうなるに注目したいが、やはり懐疑的な目で見ている。

 日経平均先物を投信化した商品を持っている。

 こちらは、現在ブルの状態なので、上昇基調は歓迎だ。

 売りどきを探している。

 あれこれ考えると、ますます悩む。

 う~ん、どうなる今後の相場?

Mac book Airの対抗馬がぞくぞくと出てきている。

88,000円でCore2 Duo、SSD64GB搭載、重さは1.2kgをきるので発売当初は、かなりお買い得感のある商品だった。

しかし、年末商戦に向けて各社が発売した新モデルにはMac book Airへの対抗馬がぞくぞくとでてきて、対抗馬の方がよいのか?と思えるPCが多々ある。

例えば、AccerのPCなどはCPUの実力値では劣るものの、Youtubeやネット閲覧などならば機能的に十二分に使えるモデルも存在し、値段はMac book Airの半額だ。

これならばと思える商品をピックアップすれば、後がないが、買い控えてもよいタイミングであるかもしれない。

以前、10月頃のブログでMac book Airを買うことを示唆したが、まだ買ってない。

3月頃になると、Apple以外のメーカーはモデルチェンジの時期なので、さらに値段がさがる可能性もあるので、その時を持つのも良いかもしれない。

優柔不断が得をするかもしれない?

なんて思ってますが、身勝手な想定かな?

 ここにきて、ようやくスカイマーク航空が注目されるようになった。

 スカイマーク航空は、1998年に日本初の格安航空会社として誕生した格安航空会社の老舗だ。

 誕生後は、低空飛行が続き、直近まで国土交通相から大量の指摘事項を受けるなど安全面や経営面において問題の宝庫だった。
 
 例、パイロットの離職に伴う長期間の運航停止、メンテナンス体制の不備を指摘、スチュワーデスの英語能力不備による外国人パイロットとの連携不足、茨城空港からの早期撤退発表(その後取り消した)など

 なので、乗る側も命のリスクを感じながら乗ることになるという、おそろしい航空会社だった。

 しかし、最近では会社の経営状態が黒字になるなど、ポジティブな情報もでてきて、株式市場でもようやく認められつつある。

 最近、驚かされたニュースは、スカイマーク航空がA380を導入して、欧州や米国へ就航させると発表したことだ。

 世界最大級のA380を導入するだけの財務体質はないので、大幅増資を行うのではとの観測から株式市場では株価が急落する場面もあったが、徐々に詳細が明らかになるに連れてポジティブと受け止められ、反発局面になっている。

 しかし、国内の2大キャリアと比較すればまだまだ問題があるであろう、スカイマーク航空がA380をオペレーションできるだけの能力を持てるのか?という点には疑問を感じる。

 B777やA340クラスでさえ、疑問に思う。

 スカイマーク航空ならば、B767やA330でよいのではないか?

 長時間運行させる欧州、米国路線でペイできるか?資金繰りはどうするのか?などといった不安は尽きないが、5年後を目処に導入するそうだから、頑張ってほしい。

 私は、いくら安いとはいえ、命はお金で買えないので、スカイマーク航空が就航した影響で安くなる可能性のあるJALに乗るでしょう…

 多少の不安はありますが、まだJALの方が信頼できるので…

 ただ、一度はスカイマーク航空に乗ってみたいので、来年に計画している北海道旅行でスカイマーク航空を利用してみようかと考えている。

 セントレアと千歳間を2月から1日3便飛ばすそうですから、その時に乗るでしょう…

 私が乗る時まで、就航していてほしいが、どうかな?

 
※格安航空会社のトレンドである、機内食などは別売りにした場合、欧州や米国路線で機内食を客が持ち込んだ場合どうなるのだろうか?
仮に、食中毒などが発生した場合、対処できるのか?
北米路線では、すぐに着陸できる空港など北太平洋では多くはないので、不安だ…


そろそろ、来年の抱負を考えなければいけない時期に来ました。

 来年やるべきこと、やりたいことを考えてみました。

・ブル・ベア投信の運用を本格化させる
・大学同窓会の企画を完遂させる
・ウィスキーの蒸留所巡りを行う
・城100選のスタンプをさらに集める
・青春18切符を使って板谷峠を超える

○ブル・ベア投信の運用

ブル・ベア投信を利用して、短期ポジションで売買利益を出すことを目標としている。

本年度は、騰落レシオのみをあてにしていたのが、来年度はストキャスティクスやマーケットの潮流などをよりよく読み、売買タイミングを見計らう。

本年度は、失敗を通じて色々と学習したので、来年は利益を出せる体質にしたい。

○大学同窓会

次に、大学同窓会の企画を完遂させる。では、本年度の2月ごろに提案した企画がある。

 これを実行するために色々と準備をしてきたが、まだ完成したわけではない。

 来年の4月末を目標に実行する予定なので、年末休暇等を利用して資料を作成させる予定だ。

○ウィスキーの蒸留所巡り

 本年度にサントリーの山崎蒸留所に行き、自分のウィスキー好きを確認した。

 来年は、ニッカウィスキーの蒸留所に行きたい。

 可能ならば、北海道の余市に行き、ウィスキー作りを体験したい。
 
 渡航費等の工面が大変だが、人生で何回も行けるわけではないので、行ってみたい。

○城100選のスタンプをさらに集める

 私は旅行が好きだ。

 城巡りは、旅のテーマのひとつだが、収集・調査癖から城のスタンプを集めている。

 全国城100選は、各都道府県にある最低1城は選び出してあり、地方を訪れたさいにふらりとよって、スタンプを集めている。

 取り組んで3年目が経つが、東海地域はほぼ制覇した。

 まだ、北陸や中国地方などのスタンプは集めてない。

 来年は、関西・北陸・東北・関東方面のスタンプを集める予定だ。

 具体的な計画は、これから練っていく。

○青春18切符を使って板谷峠を超える

 板谷峠とは、山形県と福島県の県境にある難所で、福島市福島駅起点の奥羽本線が最初に挑む峠越えだ。

 マニアックな話になるが、この区間は戦前に電化されており、国鉄の3大難所と言われていた場所だ。(広島県の瀬野の峠越え・群馬県横川と長野県軽井沢の横軽越え)

 板谷峠は、このなかでもスイッチバックを4回も利用した難所中の難所だ。

 鉄道が好きな私としては、ぜひ一度は挑戦したいルートだ。

 山形新幹線も走っているが、速すぎるので、どうせならば鈍行列車で挑戦したい。

 せっかく、山形まで行くならば、山形城と宮城県のニッカウィスキーの宮城蒸留所にも行きたい。

 つまるところ、自分の趣味・構想を実現する旅をしたいのだ。

 これは、夏休みに実行します。

 さて、来年の抱負も書きましたので、後は今年中にせねばならないことをやりましょう~


 現在の日本では、カジノは禁止されている。

 公営ギャンブルと宝くじ、パチンコを含むグレー賭博以外は認められていない。

 昔から、日本でもカジノ解禁のための法律が提出されるも諸事情により幾度と無く実現しなかった。

 解禁論者は、以下の理由をあげて解禁を促している

・解禁によってパチンコなどグレー賭博から正規の賭博へ資金が流れることにより、実態を把握しやくなる
・グレー賭博の実態を把握することにより、地下経済への資金流入を絶ち切ることが可能になる
・地方にカジノを設置すれば、地域経済活性化の起爆剤となる
・新たな産業と雇用が生まれ、経済効果が期待される
・産業と雇用が生まれれば、カジノから直接得られる税収と新規雇用創出による税収も期待できる
・海外からの観光客を呼び込むことも可能になる

カジノ解禁反対論者は、以下の反対理由をあげている

・カジノによってギャンブル依存症が増え破産者が増大すること
・地下経済に資金が流れる可能性がある
・カジノ周辺の治安の悪化

 解禁も解禁反対理由も双方もっともだと思う内容だ。

 例えば、解禁禁止論者があげている周辺の治安悪化は、カジノで負けた客が暴れたりする場合もあれば、規制などが不十分だと風俗産業を含む娯楽産業がカジノ周辺に進出する可能性もある。また、そうなればカジノへの抗議活動などが日常的に起きて生活環境が一変する可能性もある。

 ただ、解禁論者が掲げている雇用創出や、地域振興の効果は今の日本経済にも将来の日本経済にも貢献する比率は非常高い。

 例えば、落ち目の温泉街にカジノを設置すれば、カジノを設置するだけで公的なインフラ整備はいらない。

 関東近郊だと、熱海や鬼怒川など古くからの温泉街は、バブル崩壊以降の不況で低迷しており、カジノができればカジノの目当ての客が押し寄せ、地元にお金が落ちるだろう。

 設置する場所は、慎重に検討しなくてはならないが、東京から近い熱海や鬼怒川などでは日帰り客も多くなるので、宿泊などは期待したほどの効果がえられない可能性もある。

  カジノ解禁をめぐる最大の焦点は、地下経済への資金流入と依存症対策であると思う。

 地下経済へ資金流入は、現在の暴力団取締がこのまま進めば、既存の組織による資金流入は抑えられる可能性が高い。

 ただ、政治家などへ流れる可能性の資金に関していかに監視するかなどは議論がある。すなわち、運営する組織をどのような形態にするかである。

 運営組織次第で、地下経済への資金流入も変わってくる。

 官営だと効率が悪い可能性が高くなるし、半官半民だと運営の透明性確保などをめぐって議論を呼びそうだ。
 100%民間であれば、どのように運営企業を選定するかも重要だ。

 かつて、米国東海岸にはカジノはなかった。

 そのため、NYなどの都市在住者は、カナダ国境まで行くか、NYなどの地下カジノへ行っていたが、アトランティックシティーにカジノ開設が認められたことにより、NYの地下カジノは死滅したと言われている。(100%ではないと思うが…)

 米国東海岸の事例を日本は参考にするべきだと思う。

 最後の課題である、依存症対策だが、こればかりは個人の責任であり、難しい。

 今年の頭にカジノを初めてオープンしたシンガポールでは、国内在住者がカジノに行くときは、ひとり70シンガポールドルの入場料をとっている。

 これにより、国内のカジノ依存を減らす狙いがあるようだが、シンガポールの場合は海外からシンガポールを訪問する観光客のリピータ比率を増やす狙いで行っているので、事情が少し違う。

 昔から、外貨獲得のためにカジノを運営している韓国でも、地域振興のために南部に国内の人も入れるカジノを設置したが、依存症に悩まされる人々がいるという情報があり、難しい課題だ。

 ただ、カジノができたからといって、依存症が増えるわけではなく、既存のギャンブルでも依存症になる人はいる。

 パチンコ依存症などが代表的で、社会的な啓蒙活動などによって取り組むしかないと考えている。

 以上のように、カジノ解禁は賛否両論であり、なかなか結論がでないと思うが、実現したらぜひ行ってみたい。

 私も、カジノは嫌いでない。
 カジノのある国だとついカジノに行ってしまう。
 
 飲み放題だし、スリルを味わえるので、少額ならば十分に楽しめる。
 議論の行方に注目したい。

※相撲取りの大麻問題の時に、力士が錦糸町周辺の地下カジノへ出入りしていたがあった。渋谷や六本木にも地下カジノは少なからず存在する。

※訪日外国人をより呼び込む意味でもカジノ解禁を推し進めるという考え方もできる。現在、中国からの観光客などは日本に買い物に来るが、いずれこの流行も終わる。となると、新たな仕掛けを作る必要があるが、博打好きの中国人であれば、カジノ目当てでついでに観光という具合で日本に来ることも期待できる。

※米国は、インディアンカジノが存在する。さして産業もないインディアン保留地で、彼らの生活の糧として行う場合に限り認めたカジノであり、地域によってはカジノの影響で保留地が活性化している事例もある。

※ラスベガスの場合、客寄せで始めたエンターテイメントがいつの間にか、それを目的とする人々も訪れるようになり、娯楽の街としても成功している事例もあり、副産物による活性化も期待できる。

最近、ニュースで知った情報の感想をずらずらと書きます。


1、海老蔵の暴行事件

 海老蔵の暴行事件は、どちらが悪いのかわかりませんが、お酒を飲むと質の悪い気質のようですね…

 素面でも悪いのかもしれませんが…

 まぁ、自称・愚連隊となのる連中相手に、飲んでいたのですから、一般的な人では接点のない人々と関わっていたのでしょう。

 不可解な点も多く、週刊誌の格好のネタにしかなりません。
 
 今年は、歌舞伎や相撲などで大麻や暴行事件などが頻発し、伝統芸能・文化などと崇めていたものが、本当に崇めて正しいのか?と思いたくなるような珍事・事件が起きていますね…

2、東北新幹線青森延伸

 ようやく、全線開通です。

 1982年の大宮―盛岡間以降、南北に伸び、とうとう青森まで届きました。

 青森から函館までさらに伸びる予定ですが、その後はどうなるのでしょうか?

 北海道新幹線は必要なのでしょうか?
 
 疑問な点が多いです。

 青森延伸によって、並行在来線はJRから第3セクターの青い森鉄道に移管しました。

 第3セクターの運営は、うまくいくのでしょうか?
 
 こちらも疑問です。

3、小沢一郎

 田中角栄の教え子だったためか、資金絡みのトラブルが多発しています。

 正直、ここまでトラブルを起こす政治家も今となって貴重です。

 私は、彼の政策そのものが嫌いなので、これをきっかけに彼が失脚してくれると嬉しいです。

 これからの日本政治には、ポピュリズムは不要です。

 必要なのは、構造改革を実行する政治家です。


4、政界再編

 民主党の政界運営行き詰まりによって、低迷する国会。

 打開のために、降って湧いたような自民党との大連立。

 あまりにも唐突すぎる提案だが、これはこれで良いかもしれない。

 社民党と連携するよりは、自民党と連携したほうが良い。

 公明党よりも自民党が良い。

 ただ、民主党も自民党も様々な思想を持った人が集まっている組織なので、正直まとまらない可能性が高い。

 でも、やらないよりはやったほうがよいのでは?と思います。

 まぁ、きっと流れるだろうけどね…


5、お年玉

 もうじきです…

 冬季賞与とともに、来るのがお正月。

 そして、お年玉。

 貰う側の場合、もらうのは当たり前。

 あげる側になると、なぜ、あげるの?と思ってしまう。

 お小遣いをあげる機会もそう多くはないから、たまにはあげないと、と思いつつも、やはりなぜ?と思ってしまうのが本音。

 う~ん、このように思うのは私が小さいからか?


6、AKB48

 構成メンバーが多いので、5名程度しか名前を知りません。

 ですが、好きです。

 往年のモー娘。を連想します。

 見ていて楽しいのが、AKB48です。

 メンバー間の不協和音も聞こえてきますが、来年も頑張れ!!


7、少女時代

 綺麗な人が多いようです。

 ダンスも上手のようです。(FNSの歌謡祭を見ていて)

 評判もよいですね。

 ただ、整形美人がおおいのかな?

 北朝鮮の○○組を連想します。

 以上です。

 さぁ~て、明日から頑張ろう!!



 以前にもブログで書いたかもしれないが、私はウィスキーが好きだ。

 ハイボールブーム以前は、ウィスキー=おじさんの飲み物というイメージがあったようだが、ハイボールブーム以降は、ウィスキーの炭酸割り以外の飲み方をしてもおじさんと見られる見方が減った感がある。

 私は、炭酸が嫌いなので、ハイボールは飲まない。

 たまに、暑い国に行くと飲みたくなるが、それ以外で自分から進んで飲むことはない。

 なので、ウィスキーを飲む時も、たいていは水割りかお湯割りがおおい。

 最近は、強くなったこともあってか、ロックで飲むことも増えたが、ひとつのお酒でこれほどまで飲み方を変えて飲めるものは少ないと思う。

 今日の核心である、なぜウィスキーを好きになったか?であるが、理由は以下のとおりだ。

・ウィスキーは自分のペースで飲める
・風味などはワインなどと比べると少ないが、飲み方によっては風味を変えることが できる
・ボトルを開けても、陳腐化するペースが遅いので、自分のペースで飲める
 ワインだと時期や銘柄にもよるが、2週間程度で飲みきらねばならない
・異なる銘柄を同時に開けても飲み切る期限を意識しなくて良い
・気分によって飲み方を変えることができる
 通常は、水割りorお湯割り→ロック
・飲み会などでも、ウィスキーだと無理やり進められることがないので自分のペースで飲める

 理由をあげればキリがないが、私がウィスキーを好きなった理由は以上のとおりだ。

 ようするに、私の性格にあっており、合理的な飲み物だと思っている。

 私のブログを呼んでいる人は私の性格がなんとなく理解できると思いますが、ウィスキーもかなりクセのある変わったお酒だ。

 変わりものどうし、仲良く付き合っていきたい。

 ちなみに、いま飲んでいる銘柄はシーバスリーガル12年、余市、山崎12年です。

 異なる種類なので、順番を変えたり、肴を変えたりすると飽きません。

 余市がもうじきあくので、次はラフロイグを飲みます。




 11月に始まった今回の反発相場は、米国と日本の政策金利の引き下げなどを含む、量的緩和の加速を歓迎したことがきっかけだった。

 11月頃までは、ドル円相場は歯止めの効かない市場になっており、一方的にドル安円高が進行した。

 しかし、日銀による量的緩和の追加策とともに示された米国FRBの量的緩和への牽制などにより、一方的なドル安に歯止めがかかった形となった。

 9月から11月まで、世界景気の悪化懸念が強く、日銀やFRBの量的緩和は当然であるとの認識が強く、マーケットへの影響を疑問視する声が強かったが、前後して発表された経済統計の内容がよかったことなども好感され、反発となった。

 9,000円割れ寸前だったNIKKEI225はその後、10,000円を回復し、10日金曜日には、10,400円台まで回復した。

 クリスマス・年末相場になったので、そろそろ反発相場も終焉かと思ったが、まだ上値を狙う雰囲気もあるが、私はそろそろネガティブ材料がでてきて、反発相場は終焉するのではないかとみている。

 以下に、反発相場終焉の材料を上げてみる。

・中国の利上げによる影響
・世界景気に対する不透明感
・ソブリンリスクの再熱
・米国の経済統計への空振りとそれに伴う円買ドル売り

○中国の利上げによる影響

 中国の利上げは、早ければ年内にも行われるとされている。私は、春節の前後で人民銀行が発表するのではないかとみている。

 2月ごろまでには、利上げを行う必要が出てきているのだろう、

 中国経済の現状と政策金利を考慮すると、マイナス金利であるとの指摘が多く、マイナス金利のままでは、物価上昇圧力は高まり、格差は高まり、現在の指導がか掲げている格差是正実現は遠のいていく。

 物価狂乱期には、ある程度の抑制が必要であり、中流階級以下の生活向上支援を行うためにも金利を上げる必要に迫られるだろう。

 また、それによって不動産投資の加熱抑制にも効果が現れる可能性もある。

 中国の利上げは、新興国全体に波及する可能性もわずかながらある。 

 すなわち、新興国ではインフレ圧力との戦いが政府の課題となっており、中国の利上げがどのような形で行われ、どのような影響を及ぼすかで、市場の方向性も決まる。

○世界景気への不透明感

 世界景気への不透明感であるが、これは米国の経済統計などを参考に作られる市場のコンセンサスがどうなるのかに注目したい。

 輸出主導で回復してきた米国経済が今後も輸出主導で回復が可能なのかに注目が集まる一方で、人民元切り上げ論争や、通貨安競争是正論争の行方なども考慮する必要がある。

 4-6ヶ月程度で市場への見通しが変化しているので、今回の楽観論もそろそろ息切れとなり、悲観論が強くなると思う。

 なお、最近は注目されなくなったが、米国の住宅統計を代表するケース・シラー指数などにも再び注目が集まり、それが原因で市場がネガティブになる可能性もある。

○ソブリンリスクの再熱

 2010年前半は、ギリシャに端を発したソブリンリスクがユーロへの信認を揺るがす形となった。

 欧州で起きたソブリンリスクの結果、欧州では欧州版のIMFを創設することで一応の決着がなされ、今後は欧州でのソブリンリスクには欧州全体が一丸となって対処することになる。

 しかし、欧州におけるソブリンリスクの温床は残っており、再度表面化するのではと思われているギリシャ・アイルランドをはじめ、イギリス・イタリア・ポルトガル・スペインなどの国々が財政再建と景気刺激にどのように立ち向かうのかに注目が集まる。

 仮に、スペインやイギリスなどの欧州での経済大国のソブリンリスクが起きた場合、ドイツがどこまで支援に動き出すのか?に疑問符がつくので、そのへんの動きも合わせてみておく必要がある。


○米国の経済統計への空振りとそれに伴う円買ドル売り

 米国の経済統計は、このところネガティブな結果でも市場は受け流す風潮がある。

 しかし、この風潮がある時を境に受け流せなくなったときに、市場は売りへと傾く可能性が高い。

 すなわち、ファンドなどによる景気見通しや格付けの変更、著名投資家の今後の予想などが該当する。

 風潮の変化により、不安心理が高まれば、市場はネガティブ色が強まり、売りが売りを呼ぶ展開となることは容易に想像できる。

 そして、米国経済の見通しがネガティブになれば、ドルが売られ円が買われる。

 それにともない、輸出企業の株も売られ、NIKKEI225も下げるという構図が想定される。

 以上の点を留意事項として、今後の相場反転を見極めたい。

 なお、早ければ年明け早々にも相場は反転する可能性があり、下値は9,300円-9,600円近辺だと考えている。

 そののち、相場は3月末に向けて動くと考えている。

 その頃にまた、予想を書きます。

先日、商用で大阪に行った。

今回は、少し長めでかつ時間的な余裕があったので、大阪の街をじっくりと見ることができ、大阪という街を知ることができたと思う。

これまでは、大阪というと騒がしくて、汚い街というイメージがあったが、今回の訪問で私の中の印象が大きく変わった。

まず、大阪の商店街・市場と裏路地に感動した。

日本の商店街の大半は、寂れており俗に言うシャッター街が多いが、大阪ではシャッター街にならず、繁栄している商店街が多数ある。

今回、天満市場に行ったが、天満市場は大阪駅の隣の駅であり、東京で言えば神田のような立地にあるのだが、その天満市場は、日本一長く、活気のある市場だった。

店舗の種類も多く、昼も夜も人の往来があり、東京の巣鴨よりもよい印象を受けた。

おそらく、近隣に大規模なスーパーなどが出店してないことや、都心であるがために、車の保有率が少なく、移動手段が自転車や公共交通機関などに限られており、行動範囲が限られていることが天満市場の繁栄理由だと思う。

裏路地は、天満市場周辺以外にも見たが、東京の下町と似た雰囲気のある場所が多かった。
ただ正直な話し、地方の生活者である私は住みたいとは思わない。

次に、興味深かったのが鶴橋のコリアタウン。

コリアタウンと言っても、そう大きくなく、想像していたよりも小規模なものであったが、日本にあって日本であらず。

韓国の釜山あたりにいるよう気分になる。

鶴橋キムチと銘打ち名物化しているキムチや、チヂミ、韓国風海苔巻きなどもあり、それはそれで面白かった。

東京の高田にも同じようにコリアタウンがあるが、大阪のような個性をもつ場所でない。

大阪特有の雰囲気のなかで鶴橋のコリアタウンは育ったのかもしれない。

この他、船場・中之島や府庁なども時間があったので行ったが、大阪には明治後期から昭和10年代までに建造されたレトロな建物が残されている。

とくに大正年間頃は、阪神地区の建築文化は阪神モダニズムとよばれ、数多く残されており、いま見ても感銘する建物が多い。

例えば、大阪府庁なども大正15年に建てられたビルだが、おもて玄関の装飾がすばらしい。
重厚感の玄関だった。

また、中之島の大阪公会堂や図書館などもよい。

今回の出張では、多少時間に余裕があったので、大阪を観光する時間ができ、大阪のよく知ることができたと思う。

また、きたい街の一つだ。

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