昨年は、大晦日に書いた今年の出来事をまとめたブログは、今年は都合により今日書きます。
まずは、1月。
1月は、別府にいてまだ大学の授業があった。
最後の講義は、たしか畠田教授の観光経済学で、プレゼンをした。
プレゼンも好評で、最後の締めくくりとしてはなかなかよかったと思う。
自己満足ですがね…
2月は、前半まで別府にいてMOTプロジェクトに携わっていた。
後半からは、卒業旅行に南米にでかけた。
2月の下旬は、ブラジルとアルゼンチンにおり、イグアスの滝・パタゴニアの氷河を見て感動した。
3月は、上旬までチリを旅行していた。
チリは、あんまり印象の無い国だった。
下旬は、卒業式があり別府に帰り、みんなと朝まで遊んだ。
卒業式の翌日には、タイに卒業旅行第2弾で行った。
3月31日で学生が終わり、4月から社会人になった。
4月は、会社の研修で缶詰になる。
かなり、大変な日々だった。
5月は、研究所におり、紫外用高屈折率液の開発を任され、開発に苦労した。
先の見えない、トンネルをひたすら歩き続けた。
6月も同様に、液体の開発を任された。
7月は、新しい事業部に仮配属となり、製品の検査を担当した。
光電子増倍管(ホトマル)を始めてさわり、製造の難しさを知った。
8月も、ホトマルの製品検査だった。
パートのおばちゃんと気さくに話しながら作業を進めた。
9月からは、半導体事業部に仮配属となり、クリーンルームの中でひたすら作業をした。
クリーンルームの中での作業は、私に体質的に会わず常に苦労した。
さらに、高卒の社員に目の仇にされることもあり、屈辱を味わった。
10月も同様に、クリーンルームでの作業だった。
辛かったが、半導体製造工程で学んだことは多かった。
11月は、新しいシステム事業部に仮配属となり、今の遠隔病理システムの市場調査と海外営業支援を担当する。
結構、おもしろい製品だ。
12月は、引き続き遠隔病理システムの市場調査と海外営業支援を担当している。
そろそろ、成果をだせよと上司から無言のプレッシャーを感じている。
と、こんな一年だった。
この1年は、どんな1年でしたかと聞かれたら、「失われた1年」だったと答えることがあるが、本当に迷走し、辛い1年であった。
来年は、営業担当になれるだろうから、営業を通じて自身回復を目指したい。
早く、営業活動がしたい。
みなさんは、どんな1年でしたか?
まずは、1月。
1月は、別府にいてまだ大学の授業があった。
最後の講義は、たしか畠田教授の観光経済学で、プレゼンをした。
プレゼンも好評で、最後の締めくくりとしてはなかなかよかったと思う。
自己満足ですがね…
2月は、前半まで別府にいてMOTプロジェクトに携わっていた。
後半からは、卒業旅行に南米にでかけた。
2月の下旬は、ブラジルとアルゼンチンにおり、イグアスの滝・パタゴニアの氷河を見て感動した。
3月は、上旬までチリを旅行していた。
チリは、あんまり印象の無い国だった。
下旬は、卒業式があり別府に帰り、みんなと朝まで遊んだ。
卒業式の翌日には、タイに卒業旅行第2弾で行った。
3月31日で学生が終わり、4月から社会人になった。
4月は、会社の研修で缶詰になる。
かなり、大変な日々だった。
5月は、研究所におり、紫外用高屈折率液の開発を任され、開発に苦労した。
先の見えない、トンネルをひたすら歩き続けた。
6月も同様に、液体の開発を任された。
7月は、新しい事業部に仮配属となり、製品の検査を担当した。
光電子増倍管(ホトマル)を始めてさわり、製造の難しさを知った。
8月も、ホトマルの製品検査だった。
パートのおばちゃんと気さくに話しながら作業を進めた。
9月からは、半導体事業部に仮配属となり、クリーンルームの中でひたすら作業をした。
クリーンルームの中での作業は、私に体質的に会わず常に苦労した。
さらに、高卒の社員に目の仇にされることもあり、屈辱を味わった。
10月も同様に、クリーンルームでの作業だった。
辛かったが、半導体製造工程で学んだことは多かった。
11月は、新しいシステム事業部に仮配属となり、今の遠隔病理システムの市場調査と海外営業支援を担当する。
結構、おもしろい製品だ。
12月は、引き続き遠隔病理システムの市場調査と海外営業支援を担当している。
そろそろ、成果をだせよと上司から無言のプレッシャーを感じている。
と、こんな一年だった。
この1年は、どんな1年でしたかと聞かれたら、「失われた1年」だったと答えることがあるが、本当に迷走し、辛い1年であった。
来年は、営業担当になれるだろうから、営業を通じて自身回復を目指したい。
早く、営業活動がしたい。
みなさんは、どんな1年でしたか?