TURACO、旅と日常を綴る

かつては、アフリカなどに旅行していました 最近はだるいので海外旅行いかず国内旅行がメインになりつつあります

2005年01月

他の中国企業の動向も気になる。現在、多くの中国企業が対外投資を行い各国の先端技術を取り込んでいる。前述した連想集団のIBMのパソコン事業部買収の目的としてブランドと技術獲得をあげたが、たいていの中国企業が技術獲得が目的で買収するケースが多いドイツでは1昨年に技術獲得目的で100社にものぼる企業が中国企業によって買収されている。イギリス、イタリアも例外ではない。日本でも10月ごろに新聞記事に中国企業の製造業の買収がスクープされた。今後、ますます中国企業の対外投資と企業買収が加速するだろう。
 今度はブランド力の獲得に目を向けてみると、連想集団のIBMのパソコン事業部しかり、上海汽車のイギリスのローバー買収しかりと大型なブランド獲得も相次いでいる。今後もこの老舗ブランドの買収は継続されていくのは間違いない。予備軍としては昨年末にチャプター11を申請したポラロイド社も可能が高い。これらの背景には、低価格売りから脱却を目指す動きがあるが、中国企業が買収しているブランド企業には共通点がある。それは、老舗ブランドの買収だ。かつては殷賑のごとく栄え、世界のトップブランドであったといわれる会社が多い。ブランド買収であれば衰退していながらもかつての栄光がよければ復活する可能性もある。そんな思惑を中国企業は描いているに違いない。中国企業に事業を売却するときは過去の栄光を高言すると期待以上の値段で購入してくれるだろう。
 

昨年、中国の連想集団(レジェンド)はIBMのパソコン事業部の買収を発表した。IBMは、かつては世界で最も巨大なパソコンメーカーであり、イノベーターであった。しかし、IBMは開発をマイクロソフトやインテルなどと共同して分担によってパソコンを製造する方式へと変更したために、パソコンを製造しないメーカーでも容易に参入できる市場となり競争が激化した。そのために、IBM製のパソコンは市場ではあまり見なくなった。事実、IBM本社としてはパソコン事業を売却ないし閉鎖を考えていたが、有力なパートナーが見つからなかったのが事実だ。
連想集団とIBMは利害が一致している。連想集団としては中国市場ではシェアで1位を占めており成長の著しい市場に期待できる。さらなる飛躍をするには海外市場への展開が必要だが、連想集団は海外市場でのブランド知名度はゼロにひとしい。海外では、レジェンドというブランドは多くの企業が使用しており、レジェンドという商標を使用できない。しかし、連想集団というブランドでは中国製品のイメージから思うような価格では販売できない。そこで、低迷し続けるIBMブランドの買収をしてブランドの構築と躍進を目指そうとしている。だが、ブランドを使用する権利は5年間しか使用できない。その5年間をどうすごすかが、今後の課題だ。
このほかにも、連想集団はより高度な技術の獲得の狙いがあるが、現在のパソコンビジネスにおいて相手先企業を買収してまだ得る必要がある技術が存在するのか疑問だ。モジュール型産業の代名詞であるパソコンにおいて得る技術とか何であろうか。
明日、他の中国企業の動向についても記載する。

今日は、卒業パーティーを別府市が誇るビーコンプラザで開催された。
ビーコンプラザは、西日本でコンベンションセンターとしては最大らしい。
その、ビーコンプラザで夕方6時からどんちゃん騒ぎ。
座席は、中央部で健太郎やシュガーなどのいつもの知人たちと着席。
が、そこには守野教授に鈴木宗男教授もいた。
乾杯前から、私たちのテーブルだけビールの消費量が…
気が付くと、ビールがやたらと消費されている。
缶が床に10本くらい並べてある。
それは、さておき乾杯前の演奏がスタート。
馬の耳に念仏状態なので無視し飲む。

そして、いよいよ乾杯。
乾杯の音頭はカシム学長が取りました。
APUに入学して初めて学長をみました。
乾杯後は、食料争奪戦がスタートし、みんなで貴重な食料をめぐって争う。
でも、そんなに醜い争いではないです。
きっと、今日はみんな正装なので理性が少なからずあったでしょう。

その後、みんなと楽しく写真をパシャパシャと撮った。
パーティーは、9時終了。
その後、輩会に参加したがあまりの暗さに退却。
ゴルトンに先に行っている友達たちと合流して飲む。
そこも、12時過ぎで終了し、友達の車で家路に着くが予定変更して、石垣の公園でみんなで凧揚げをする。
深夜誰もいない公園で男4人が寂しく凧揚げを開始するが、上がらず凧が壊れ強制終了。
そんなこんなで、家に1時過ぎに帰り着く。
今日は、楽しかった1日だ。
思い出がまた増えた。

今日、アウシェビッツが解放されて60周年を迎えるとドイツのZDFが伝えた。
1945年の冬にソ連軍によってポーランド南部にあるアウシェビッツは解放されたのが、この報道は私にあるひとつの疑問をなげかけた。
それは、ユダヤ教徒という存在が複数おり、過去の反省を活かすという事が非常に難しいのではないだろうか、ということである。
ユダヤ教徒は、ユダヤ王国がローマ帝国によって滅ぼされてから流浪を強いられるのだが、各国で差別的な扱いを受けてきた。
その理由は、同じユダヤ教徒であるが、キリスト教の開祖であるイエス・キリストを欺き裁き、磔にした罪深き人々であり、生きているだけで罪であるとされてきた。
ユダヤ人は、罪深き人々であるとされたために、15世紀以降はゲットーと言われる狭い居住区に閉じ込められた。
このゲットーは、1789年のフランス革命以降に人権の確立によって西欧を中心に居住区が他の宗教を信仰するものたちと共存できるようになった。
ロシアや東欧など比較的、発展の遅い地域では20世紀までゲットーが存在していた。
現在でもハンガリーの首都ブダペストやチェコの首都プラハでも居住地を自由に選ぶ権利を与えられているがゲットーが残っており、ユダヤ教徒のための寺院「シナゴーク」が存在しており、ブダペストのシナゴークには世界最大級のものがあり観光名所となっている。

話をもとに戻すが、罪深いがために隔離されてきたユダヤ教徒は第2次世界大戦にナチス・ドイツの人種隔離政策によって再びゲットーに戻された。
そのゲットーは、これまでの隔離政策とは趣旨が異なり、人種廃絶が目的であった。
そのなかで、最も有名だったのがポーランドの首都ワルシャワに設置されたゲットーだった。
20万人以上の人々が隔離され、アウシェビッツなどの強制収容所に送り込まれ、強制労働の後に殺された。
ワルシャワのゲットーの物語は、映画「戦場のピアニスト」でピアニストの故シュピルマン氏が実話に基づいて再現されている。
映画にもあるように、ナチス・ドイツによって占領された欧州各地にはユダヤ人隔絶計画のためにゲットーを設置し、その周りを高い塀で囲んだ。
塀で囲まれたことによって、外部との交流を遮断し、統治者側にとってより有利条件に統治政策を進めていった。
大人数で塀の中に押し込められ、最後は強制収容所に送られ、殺される運命が待っているユダヤ人の気持ちは我々にはとうてい理解できない。
ここで、味わった苦痛をユダヤ人達はどう活かしたのだろうか。

結果は、何も活かしていない。
むしろ、自身で味わった苦痛を他民族に対しても味合わせている。
それは、ユダヤ人のための国「イスラエル」のエルサレムで行われている、パレスチナ人に対する隔離政策だ。
この政策は、ユダヤ教の聖地エルサレムを他宗教によって汚されないために実行している。
ユダヤ教徒にとってエルサレムは聖地であるが、イスラム教徒にとってもエルサレムは開祖マホメッドが入滅した土地であり、キリスト教徒にとってもイエス・キリストの生誕地と活動の場所であり、重要であるが観光に来るものに対しては差別をしない。
原則、イスラエルに居住している人々が差別の対象である。
隔離政策は、ゲットー同様に高い壁を築いている。

人間の教育原則で、「他人にされて嫌な事は、他人にもするな」と教わってきているはずだ。
どの国にも、その言葉に該当する言葉は必ずある。
その教わってきている原則を理解せず、他民族に対して同様のことをすると、必ず仕返しが訪れる。
自爆テロはその典型的な仕返し=報復だ。
教育原則を理解し、宥和政策を敷くことが今のイスラエルとユダヤ人に必要なことであり、アウシェビッツでの過去を活かすべきではないだろうか。

起きた。
3時間だけ、寝た。
歯医者へGO。
奥歯の歯の神経付近を治療する。
激痛が…。
あまりの苦痛でイライラ。
そのまま、学校へ。
5時半から、キャリアの就職アドバーザーの会議が。
参加したが、あまりのくだらなさに落胆。
こんなんだったら、呼ぶなよ。
だるい。
まじで、だるい。
寝不足と歯の神経をいじったことでイライラしていたから、1時間が苦痛だった。
時間とバス代の無駄だった。
会議後、帰宅。
そして、寝る。
お休み。

今日は、試験も終わりMOTの課題がたまっているので片付けるために午前中はずっと家で本を読んでいました。
午後は、プログにも前述したように呼吸器の検査のために黒木記念病院に行き、検査。
検査の結果、行くなといわれ、卒業旅行はペルーではなくアルゼンチン・チリに決定した。
まぁ、ペルーは大事をとってツアーで行ったもいいしなと思い、諦めた。
病院に行った後、別府駅前に7時に集合。
友達たちと、お気に入りのヒットパレードへ。
合計、6名でわいわいがやがやと飲んで話して遊ぶ。
お店が、終了したのが日付が変わって午前1時。
その後、カラオケに行って4時まで騒ぐ。
カラオケ終了後、明日オープンのヤマダ電機に並ぶために、時間をガストで潰す。
午前4時から午前9時までひたすらくだらない話でだらだらすごす。
そして、午前9時にヤマダ電機へ移動。
開店と同時に店内へ行くがあまりの混雑でろくに見ずに帰宅。
でも、特価品のハロゲンストーブだけは購入した。
980円の安物です。
どれだけ、使えるのか楽しみだな。
帰宅後、睡眠。
結局、今日は17時間も遊びました。
久々のオールで疲れました。
寝ます、おやすみ。

今日で試験終了!!
これから、しばらく勉強をしなくてすみそうだ。
大学4年間の勉強が今日の試験で終わった
そんなわけで、寝ます。
おやすみ!!
試験勉強お疲れさまです。

今日は、南米の情報を仕入れるために別府市内のJTBの支店へ行った。
が、支店には情報がなく、JTBの情報センターなるものへ連絡をとりながらの接客となった。
ブエノスアイレスまでの航空券の値段も調べるのに15分もかかったし、アルゼンチンにはビザが必要だという始末。
南米でビザが必要な国は、ブラジルだけだったはずなのに。
さらに、パタゴニアについても情報がまったくなく。
こっちが調べた情報を話した方が早かった。
南米の最果ての地だから情報が少ないのはわかるが、少しは情報をもっておいて欲しいものだ。
お客が事前に大量の情報をもっていて、代理店が教えてもらうという形はどこの旅行代理店に行ってもよくあることだ。
役に立たない代理店が多すぎる。

今日は、朝から国立病院に行った。
というのも、2月の卒業旅行にマチュピチュに行くとしたら高山病にかかる可能性があるからだ。
高山病は高度2500mのところに2日以上かけて登らないとかかり、3人に2人は必ず頭痛かめまいを引き起こすというやっかいな病気だ。
気管支炎を患っている私は体験したことの無い高山病に不安を覚えている。
そこで、循環器科のある国立病院に行ったが、色々な患者が着ているせいか混雑しており、待つこと60分なぜか内科に飛ばされた。
内科の看護婦さんに話すと内科でも見るとのことだったが、混雑具合からして後日来ますといってキャンセルした。
同じ内科だったらかかりつけの黒木記念病院のほうがいいやと思って黒木へ向かった。
黒木記念病院は水曜日に循環器科の先生が大分大学から来るそうだ。
だから、水曜日にもう一度黒木記念病院に行ってみてもらうことにした。
午前中は時間を無駄にした気がした。
午後は、寮の近く歯医者に行って歯の治療をしてもらった。
私は昔から虫歯にかかりやすい体質だ。
もし、海外に行って虫歯になったら治療が難しいので長期間の渡航をする場合は必ず歯医者に行って歯を見てもらっている。
歯医者はすぐに見てもらえ、虫歯は無かった。
だが、昔つめた歯の詰め物が磨耗して歯の神経に影響を与えているらしい。
そこで、詰め物をして治療完了。
そんなこんなで、今日は医者めぐりの日だった。

NHKの番組に政治介入があったかどうかで自民党の中川大臣と安部幹事長代理が話題の人物となっている。
今日になって、NHK側が驚くべく情報を伝えた。
NHKが主張するには、朝日新聞の記者がNHKの番組制作局に対して本人の意に沿わない回答を無理やり聞きだして政治介入があったと伝えた。
このような朝日新聞の捏造、歪曲は何も今に始まったことではない。
過去にも、功勲をあせるあまりに現在の東京都知事石原慎太郎氏の核保有を促す姿勢やタレント議員のあり方についてなども本人の意に沿わない記事を掲載した。
戦前には、毎日新聞が光文事件という誤報を行った経緯があり、戦中には国勢高揚のためにさまざまな偽装記事を掲載した。
新聞会社の本来のあり方は、社会の事件や出来事をありのままに報道することが報道の義務であり、報道するために取材する権利がある。
しかし、今回のような捏造、歪曲は誤報を通り越した稚拙でかつ社会的な使命を忘れた新聞会社の有様を露呈している。
朝日新聞のニュースを見ていて、故佐藤栄作首相が退任時に発言した、「新聞記者はでてゆけ、事実を伝えない。テレビの前でのみ退任会見をする」という言葉が頭をよぎった。

もうじき卒業旅行の季節がやってくる。
卒業旅行は、どこに行こうかなぁと悩み続ける日々が続く。
今回は、5大陸のなかで唯一残った南米に行くことは決めている。
だが、南米のどこに行こうかで悩んでいる。
案としては、ペルーかアルゼンチンである。
ペルーには、マチュピチュ遺跡と周辺のインカ遺跡をみたい。
それと、ペルー原産のコカに興味がある。
アルゼンチンは、イグアスの滝とパタゴニアの氷山をみたい。
氷山を削って、ウィスキーを飲みたいと思っている。
予算は、いずれも30万円前後を予想しているので、現在の貯金額からみても問題は無い。
だが、どちらに行くと感動できるかだ。
マチュピチュもイグアスも魅力的だ。
どちらをとるかで悩んでいる。



9fbf663e.JPGカメラの写真をひっそりと公開します。
内緒だよ。

今日は、学部生として最後のプレゼンを観光事業論でした。
テーマは、宿泊特化型ホテルのビジネスモデルについてだった。
ケースとして東横インをとりあげ、どのような採算モデルで営業しているのかなどを調べた。
プレゼンも順調に進み、質疑応答も無事に終了した。
学部生の集大成にふさわしいプレゼンができたと考えている。
がむしゃらに走っていた1回生と比べて、4回生の現在のプレゼンはより優れたものになったと感じれた日だった。

97ad2faa.jpgあんまり、自慢をすると知人達から怒られるのでプログでこっそりと自慢します。
去る12月31日に念願のデジタル一眼レフを購入しました。
今まで、カメラ屋に行ってはショーケース越しに眺めていましたが、とうとう自分の手の届く範囲に来ました。
カメラは、ニコンのD70という中級機種です。
お値段は、諭吉さんが手のひらで踊るくらいの量です。(表現が微妙だなぁ…)
購入した翌日に関東は雪だったので、さっそく購入したばかりのカメラで雪景色の街なみをパシャパシャと撮影しました。
なんだか、感無量です。
ついに、欲しかったカメラがいま手元にあり、そのカメラで撮影している。
自己実現の喜びにどっぷり漬かりました。
そして、自宅のプリンターで現像。
すると、細部まで表現されているのにびっくり!!
このカメラは、卒業旅行に合わせて購入したカメラなので、南米のどこかで最高の一枚を撮る予定です。
撮ったら、プログに載せますので楽しみにしててください。

以下が、購入したカメラの詳細
http://www.nikon-image.com/jpn/products/camera/digital/slr/d70/index.htm

先日、エチオピア出身の留学生と昼食をとりながらなにげない話をしていた。
そんのなかで、将来どうするのかということで話をしていたが、私が将来は政治家になるのもおもしろいだろうなと語ったら、彼がこんな発言をした。
「君が、政治家になったらエチオピアにもっとたくさんのODAをちょうだい。そして、そのお金で新幹線と高速道を創るから」
通常のやりとりであれば、何ら不思議もない言葉だがODAという言葉に非常に気になった。
ODAは、先進国が開発途上国に対してインフラ基盤などを設置して開発を促すためのものだ。
だが、彼はそのODAを日本が母国エチオピアに対して無償で高速道路などを設置して、彼らの生活をより豊かに手助けするものだと勘違いしているようだった。
彼は、新幹線建設に莫大な資金が必要だということを理解していないし、運営にさいしても巨大な額の維持費がかかる。一人当たりの年間GDPが250ドルに届く程度の国に500km走れば100ドル近い運賃を要求する鉄道の需要があるだろうか。
大学で同じ勉強をしているはずなのに、経済原理すら理解せず要求だけする留学生に疑問をもった。
彼は、ODAを黄金が湧き出る小槌と勘違いしている節があり、彼の発言は非常に不快だった。
ODAは、我々の祖父や父親達が、汗水たらして働き納めた税金の一部でまかなわれる血税だ。
その血税を、システムも理解していない留学生が気軽によこせとはどういうセンスなのだろうか、日本にくる留学生の稚拙さに落胆した日だった。

松下電器産業は4兆8000億円の巨大企業である。この巨大企業が、さらなる飛躍を求めてある分野への参入を決めた。それは、デジタル一眼レフ市場への参入である。これまで、松下電器産業はパナソニックブランドとして市場の拡大が著しかったコンパクト・デジタルカメラ市場に2001年度から参入した。参入当初からドイツのライカ社の設計によるレンズを前面に押し出した。その後、手ぶれ補正などの機能も充実させカメラメーカーに対して劣らない性能をみに付け市場での存在感を示した。そんな同社が、去年の10月に発売したFX-7は同社のデジタルカメラにおいて初めて市場での月間販売台数NO.1を記録した。FX-7は、大画面液晶で手ぶれ補正を売りにした製品で、歌手の浜崎あゆみをイメージキャラクターとして採用したことによって若年層に対しての製品のイメージを向上させるなどの後押しもあった。
 コンパクトデジカメ市場において1位を獲得した松下電器産業は、今後の成長率が低いコンパクトデジカメ市場よりもより高成長が見込まれるデジタル一眼レフ市場への参入を決定した。現在、コンパクトデジタルカメラの市場は価格が年間で平均5%前後下がっており、CIPA(日本カメラ工業会)の統計によれば本年度の国内出荷額は初めて前年度割れすると見込まれているが、デジタル一眼レフ市場は2003年の11月にキヤノンからでたEOS KISS DEGITALが先駆けとなってこれまでの一眼レフ愛用者が始めてデジタル一眼レフの買い替えが進んだ。
 その後、ニコンが銀塩カメラの上位機種で使用される性能をふんだんに盛り込んだD70 の発売によりより話題を呼び、市場では売り切れが続出し、最長で6週間待ちとなった。昨年の秋に秋にはコニカミノルタやオリンパス、ペンタックス、フジフィルム、キヤノンなどカメラメーカー各社が新製品を市場に投入し、本格的なデジタル一眼レフ市場が誕生した。今回の松下電機産業のデジタル一眼レフ市場参入は、カメラメーカー各社にとっては衝撃を隠せないものである。なぜならば、これまでコンパクトデジカメ市場には電機メーカーや部品メーカーが参入してきても、一眼レフの分野はカメラ屋だけに許された市場との考えが一般的であった。仮にも電機メーカーが一眼レフ市場へ参入してきても交換レンズのラインナップやペンタプリズムの精密度、プロユースの仕様ノウハウなどが長年の経験によってえたノウハウがなければ打ち勝つことのできない分野であった。しかし、デジタル化によって総ては変わった。
 デジタル化によって1:0の電気信号で他社の秘蔵技術も総て真似できる時代へと変化した。そのため、カメラメーカーも異業種との提携をしてでもより高解像度や技術を開発して自社の強みを築き、他社に真似されにくい仕組みを作ることになった。ニコンはソニーと提携してCMOSの共同開発に乗り出した。ペンタックスは韓国のサムソン電子と携帯電話に搭載される次世代CCDの共同開発に着手した。そして、オリンパスは松下電器産業と共同でデジタル一眼レフの開発へ乗りだした。唯一、特徴的なのはキヤノンであるキヤノンは他社との技術提携をしない。他の事業部は他社と技術提携を結び戦略的同盟を築き市場での地位を占めてきたが、唯一カメラ部門だけは独自の路線を歩んでいる。今後、デジタルカメラ市場は世界的には市場が成長する。一方で、国内マーケットは普及率が55%を越えた今、買換え需要に頼るしかない。海外市場頼みなるデジタルカメラ市場は、欧州や韓国、中国企業の追い上げも厳しい。そうなると、より強化を図るために国内のカメラメーカー各社は業界再編も視野に入れた活動がはじめる可能性がある。今後の動向に注目したい。

最近、やたらと夢を見る。
しかも、だんだん夢が悪い方向に進んでいく。
初夢は、酒を飲んでいたために記憶に無い。
しかし、その後に今年最初に見た夢は、なかなか良かった。
内容は、記憶に無いがとにかくいい夢だった。

しかし、次第に悪くなってくる。
つい、1週間前には持病が悪化して発作で死んだ。
昨日の夜見た夢は、公開処刑にあって、最初に市中引き回しにあい、その後に暴行を受け、最後は磔され死んだ。
夢の中で、乞食に頭をドンキでたたかれたことが記憶にある。
いったん、そのことで夢から覚めたが、午前3時。
また、寝入ったがその後は、槍で刺された…
あまりの苦痛で目がさめた。

なんなんだろうか、この悪夢にうなされる日々は…

先日、一冊の本を読み終えた。
司馬遼太郎の短編小説「最後の将軍」という徳川慶喜の生涯を描いたものだ。
この本の、中に時の権力者がいかにうまく幕引を行い、余生を送るかが焦点となっている。
権力の幕引きには2つのパターンがある。
一つ目は、話し合いによって穏便に解体されることだ。
二つ目は、他の圧力を受けて崩壊するか潰されることだ。
一つ目の話し合いによって穏便に解体されるケースは、歴史上あまりない。民主主義とフランスの共和制が誕生したのもフランス革命という土台があって誕生したし、社会主義や共産主義、ソビエト政府に中華人民共和国も同様である。強いてあげるとすれば、江戸幕府とインドくらいではないだろうか。血を見ずに政権の移譲はできた。その後の、長州の怨嗟から戊辰戦争は起きたのであって江戸幕府が原因でその後の流血惨事が発生したわけではないので江戸幕府の場合は前者が当てはまると考えられる。また、インドもマハトマ・ガンジーの無血主義によって宗主国であるイギリスに対して反抗し、みごとに独立を勝ち取ったと考えられる。

 このように、常に権力体制が変わると血を血で洗うような争いが常に起こっているが、最も犠牲になるのは敗れ去る権力者グループとそれを支持する人々である。フランス革命では多くの貴族がギロチン台の上にあがり首をはねられ、ロシア革命でも貴族と富農が粛清の対象となった。中国大陸でも国家が変わるたびに、全王朝の関係者は総て処刑か身分追放にあい奈落の底に落とされた。権力者とは、常に自分と周りのものの生命がかかっていることを忘れてはならない。
 生命のリスクを忘れ、傍若無人に振舞うと悲惨な末路がまっている。その象徴的なのが、イタリアのムッソリーニにドイツのアドルフ・ヒットラーなどがそうである。ムッソリーニは北イタリアの湖の湖畔で銃殺され、ヒットラーもベルリンの暗い防空壕の中で自殺した。韓国の大統領で朴正煕も暗殺された。善悪に関わらず、人民に対して圧政を敷き、苦しめると必ず仕打ちが来る。
 今、中東では多くの国々が封建的な政治体制を敷き、国王か独裁的な大統領が統治している国々が多々ある。サウジアラビアなどが典型的な例だ。サウジアラビアは、自分の王家を守るために鎖国主義に走り、国民を犠牲にしている。21世紀のグローバルな世界において18世紀の封建主義は必ず破られる。そのことを、意識してサウジアラビア王朝は民主化に努めるべきだ。そうでないと、悲惨な末路がまっているかもしれない。

朝、同じ寮の後輩から電話があり、就職相談をしたいと言われたので相談にのってあげた。

総合職と一般職の狭間で悩んでいるとのことだった。
男は、総合職で女は一般職という区切りが男女雇用機会均等法によって廃止され、女性の会社で自由に働けるようになったが、家庭を持ち子供ができると家庭と仕事の両立などの点で長く努めるのは難しいのが現状だ。

女子大としては、大学で同じように活動してきたのだから、これまでどおり男女平等に会社でも総合職として働きたい。
だから、会社も総合職狙いで就職活動をすると言っていた。
彼女の意見はもっともだと思う、活発に活動している女子大生からすれば性別によって給料まで異なることに対して異議を唱えたいと思うのは当然だ。

だが、会社の立場に立ってみると女性を総合職で採用して、定年まで働くといわれても、その過程で子供が生まれ育児休暇、年老いた両親の面倒をみるために介護休暇と称してブランクを空けられると会社にとっては使い勝手がしょうしょう悪いタイプの人材であると認識されてしまう。
これらを防ぐために、結婚しない、夫と平等で家庭の問題を取り組むといわれても、結婚しないと少子高齢化が進展し、よき夫とめぐり合うと言っても信憑性は薄い。
会社としては、これらの要素があり女性を総合職に盛んに採用できないと考えるところもなくはない。

経営に立った視点で見ると女性の総合職にはこのようなリスクと問題があると説明し、その女の子には一般職でも復職制度のある会社を調べて受けるようにすすめみるという方向になった。

私は男として生まれてきたので、就職活動で女性がどのような心境であるのかなどは深く考えてこなかったが非常に難しいもんだなと感じつつ、今後もその子の後方支援を行っていくつもりだ。
大学4年生として後輩にできることは協力していきたいと考えている。

今日から学校だ。
プログで始業式をします。
最後の月なので学業に打ち込むぞ、そんなわけで!!
1,2,3、ぎゅ〜ん、めき、そいや、ぽか〜ん!!

今日は、大分に帰らねばならぬ日だ。
午前中は、友達に付き合って渋谷の東急ハンズへお買い物。
宿泊させてもらったお礼も兼ねて友達に昼食をおごった。
2時に空港に到着した。
ラウンジでくつろいで飛行機の時間を待っていたが、その間に難波先生らしき人物を発見したが、他人の空似かなと思っていたが、機内で偶然にも出くわした。
先生と機内で会うのは、これが3度目だ。
よく会うなぁ、なんでこんな確率で会うのかなと考えつつ、飛行機は大分へ到着。
機内でもバスの中でも正月休みが話題になり色々と話をした。
そんなこんなで、別府の我が家へとカムバックした。
学生生活も残り少ない、がんばって酒でも呑むか…

4日は仕事始めの人が多い。
親父をはじめ家族一同仕事に出かけた。
私もそろそろ大分に帰るべく、準備をして11時の飛行機乗るために空港に向かう途中、携帯電話がなった。
見ると、渋谷で福祉系ベンチャーをしている社長からの電話だった。
今からこれないかと言われたので、年末にお世話になった関係もあったので年始の挨拶もかねて、羽田空港から渋谷へと行き先を変更した。
会社に着いて、開口一番に新年のご挨拶と同時に、向こうからPFI(プロジェクトファイナンシャルイニシアティブ)を活用した図書館設置計画についてのレポートを読んで感想を教えてほしいといわれた。
レポートの内容は守秘義務契約を結んだので述べられないが、欧米と比較して図書館の少ない日本でいかに図書館を増やすのかを目的としたプロジェクトに以前から興味があり、参加している。

レポートは、全部で120ページもあって一度には読めないので、会議室を借りてゆっくりと読むことにしたが、読み始めて1時間が経過したころに時計を見ると、もう夕方4時を回っていた。
レポートが読み終わるころには、最終便は大分に到着するころだろうと思い、今日は渋谷の知人宅に泊まることにした。
レポートを読み終わったのは夜9時を回っていた。
感想を書いて、指摘箇所をまとめ社長に渡した後、夕飯を食べに出かけ、食後に知人宅へ向かい、仕事の話をするなどして寝た。
明日は、大分に絶対に帰ろうと思い眠った。

今日は東京でインターンをしたいた時の会社の社員の方と一緒に初詣に行った。
場所は、浅草の浅草寺。
上野駅で待ち合わせしたら、普段のスーツ姿しかしない私にとって、着物姿の彼女があまりにもまぶしく見えた。
女性って変わるもんやぁ…。
そんなことを思いつつ、浅草寺まで来たがあまりにもすごい人だかりでびっくり!!
待つこと、1時間。ようやく、参拝できた。
お願い事は、当然ながら卒業させてください!!
そんなこんなで、初詣終了!!

昨日はよく酒を飲んだ。
祖母に起こされ、お雑煮を食べていると祖母が頼み事があるというので頼まれることにしたが、祖母のたのまれごとは非常に厄介だった。
穴を掘って欲しいと言われた…。
「穴ってどれくらい?」って言うと、畑に案内されスコップで地面に線を引いたが、長さにして縦15m×横8mぐらいだった。深さは、50cmも掘ればいいとのことだ…。
「自分の墓でも掘るんけぇ?」と上州弁で祖母に聞いたら、「正月から縁起でも無い事を言ってんじゃないよ、このクソガキが!」と相変わらず粋のいい言葉が返ってきた。
昔から祖母は、口が悪いかったが、何も祖母に限った話しではない。
群馬に生まれしもの定めだ。
群馬県民はとにもかくにも口が悪い、義理と人情の国だからしょうがないか…。
そんなこんなで穴を掘り始めたが、群馬名物のからっ風に吹かれながらの作業で大変だった。
作業時間は、5時間を要した。
完成後に、家に帰り顔を洗って鏡を見ると顔がごそごそになっていた。
長時間、外いて風が当たりすぎたからだと母に言われた。
祖母からは感謝の言葉話し、お前を生んだ母を誰が育てと思っているのだと言われた。
もういや、とんだ正月になった!!

今日は、元旦だが雪で車も出せずどこにもいけない。
朝、お雑煮を食べておとなしく寝ようとしたら、お袋に起こされ雪かきをすることになった。
元旦から重労働を強いられた。
えっちらほっちら雪かきをした。
雪かきをした後、3時過ぎに路面もとけてきたので祖母の家に。
出発したのが遅いので今日はお泊りだ…。
親戚とごちゃごちゃと話、カルタをみんなでやってといつもと変わらぬ正月だ。
でも、うちの親戚はよほどのことがない限りはお年玉は相殺されてしまうので、今年も額はスズメの涙ほどだ…。
やけ酒してやった。
酒を飲んで眠たくなってきたので、そろそろ寝る。

このページのトップヘ