先日、一冊の本を読み終えた。
司馬遼太郎の短編小説「最後の将軍」という徳川慶喜の生涯を描いたものだ。
この本の、中に時の権力者がいかにうまく幕引を行い、余生を送るかが焦点となっている。
権力の幕引きには2つのパターンがある。
一つ目は、話し合いによって穏便に解体されることだ。
二つ目は、他の圧力を受けて崩壊するか潰されることだ。
一つ目の話し合いによって穏便に解体されるケースは、歴史上あまりない。民主主義とフランスの共和制が誕生したのもフランス革命という土台があって誕生したし、社会主義や共産主義、ソビエト政府に中華人民共和国も同様である。強いてあげるとすれば、江戸幕府とインドくらいではないだろうか。血を見ずに政権の移譲はできた。その後の、長州の怨嗟から戊辰戦争は起きたのであって江戸幕府が原因でその後の流血惨事が発生したわけではないので江戸幕府の場合は前者が当てはまると考えられる。また、インドもマハトマ・ガンジーの無血主義によって宗主国であるイギリスに対して反抗し、みごとに独立を勝ち取ったと考えられる。

 このように、常に権力体制が変わると血を血で洗うような争いが常に起こっているが、最も犠牲になるのは敗れ去る権力者グループとそれを支持する人々である。フランス革命では多くの貴族がギロチン台の上にあがり首をはねられ、ロシア革命でも貴族と富農が粛清の対象となった。中国大陸でも国家が変わるたびに、全王朝の関係者は総て処刑か身分追放にあい奈落の底に落とされた。権力者とは、常に自分と周りのものの生命がかかっていることを忘れてはならない。
 生命のリスクを忘れ、傍若無人に振舞うと悲惨な末路がまっている。その象徴的なのが、イタリアのムッソリーニにドイツのアドルフ・ヒットラーなどがそうである。ムッソリーニは北イタリアの湖の湖畔で銃殺され、ヒットラーもベルリンの暗い防空壕の中で自殺した。韓国の大統領で朴正煕も暗殺された。善悪に関わらず、人民に対して圧政を敷き、苦しめると必ず仕打ちが来る。
 今、中東では多くの国々が封建的な政治体制を敷き、国王か独裁的な大統領が統治している国々が多々ある。サウジアラビアなどが典型的な例だ。サウジアラビアは、自分の王家を守るために鎖国主義に走り、国民を犠牲にしている。21世紀のグローバルな世界において18世紀の封建主義は必ず破られる。そのことを、意識してサウジアラビア王朝は民主化に努めるべきだ。そうでないと、悲惨な末路がまっているかもしれない。